かぎたちゅうざぶろう せんせい ごろく
鍵田忠三郎先生語録 1 坐禅 2 命 3 般若心経・祈り 4 臘八接心 5 大文字行 6 道場 7 誓願 8 態度 9 酒 10 食 11 姿 12 贈る 13 槍 14 時計 15 地震雲 16 中国 17 病気 18 書 19 その他 編集:一箭順三 5 大文字行 大文字行(奈良県出身の英霊3万柱を慰霊するため、8月1日〜15日の間、毎朝4時から般若心経を唱える)の時、先生はいつも座布団を敷かれず、「正座で般若心経を唱えさせて頂いている。(足くらい痛くても)自分を苦しめることで英霊にご供養させて頂いている。」 今日は大文字行の二日目です。三日坊主というからこの辺で気合いを入れて頂きたい。ほんとに三日坊主とはよく言ったもので、二日から四日の間に休む人は休んでしまう。二日はだいたい続くんです。 行と言うのはよいもんで、やり遂げたら大変に気持ちの良いものです。しかし、途中で止めたらこれほど気持ちの悪いものはないな。どうぞ自分に負けんようにしっかりとやって頂きたいものです。 大文字行S.55.8.2 行も六日目を迎えるようになりますと、色々と故障というのが起こってまいります。これは行をやらしてもらいますと必ずつきものです。そういう時には法難を頂いたとか、教えを頂いたとかと言って、行者はそれを喜ぶものです。故障を喜んで、、故障に耐えて行の完遂を期するものなんです。 行者じゃない人は、故障が起きるとそれで止めてしまいます。こういう病気したからいたしかたありません。こういう怪我したからいたしかたありません。と言い訳して止めてしまいます。 ところが行を発願するものは故障が起きると、よけい勇気を奮い立たせます。有り難いことだ、神様がなおこの上に苦難を与え給うんだ。しっかりやりましょう。と言うことになります。そうでなければダメなんです。これでなければ行者の心じゃありません。 大文字行S.55.8.6 15日間の大文字行をやらしてもらいますと、2回位きつい時がきますよね。この峠を越えると後は楽なんです。峠の手前がきついんです。どうなるんかなと思うときがあります。そこの所をしっかりとおやり頂きたい。 大文字行S.55.8.8 まあ人生に於いて、般若心経にご縁が出来たと言うだけでも結構なことです。そしてこのお経をあげて英霊に喜んでいただける。これだけでも結構なことですよね。そういう行にご縁が出来た。本当に結構なことです。これは、お互い死ぬ前になったらなるほどな、それだけが良かったな、ということになります。 色々やっとるけれど、般若心経だけが持って行けるなということになります。自分を苦しめてお経をあげさしてもらわにゃなりません。楽してやっとっても、そんなもの徳は積めません。 自分を苦しめて人に尽くさねばなりません。それが大事なとこですよね。お経をあげるのでも自分を苦しめて、足が痛い体も痛いけど、それを辛抱して人さんの為に、英霊のためにあげさしてもらうということが大事なことです。 大文字行S.55.8.8 (大文字行は)霊との約束ですよね、鍵田との約束じゃないんだ。英霊に15日間、般若心経をあげてご供養申し上げますという約束をされたんです。それだから大事なんです。目に見えないもんとの約束はきっちり果たさにゃいかん。人との約束だったら「すまんだ」と言うて肩叩いたらゆるしてくれるかも知らんが。霊との約束はそうはいかん。たたりますよ。 お互い、霊との約束をするような人生。そんな人生を考えてやって行きたいですよね。人との約束じゃない、目に見えないものとの約束をする人生をやって行きたいですよね。 大文字行S.55.8.10 四弘誓願は仏教者誰でもあげますし、僕もずっとあげてきたんですが、3年前にその意味が解りましてね。 山岡鉄舟という人がおるんです。剣道の大家でありましたし、書道の大家でもありましたし、また坐禅を徹底して坐った人です。 この人は字をたくさん書いておられますが、いつででも字を書くときに「むにゃむにゃ」と言わはる。剣道するときでも「むにゃむにゃ」と言わはる。なんかするときに「むにゃむにゃ」と言わはる。 山岡鉄舟の「むにゃむにゃ」て何やなとずっと気にかかっておったのです。それが、3年前に病気さして頂いたとき、山岡鉄舟関係の本を集めるだけ集めさしてもろうて、お陰で「むにゃむにゃ」が解った。それは「衆生無辺誓願度」と言うておられた。「衆生無辺誓願度」というのは、世の中の全ての人達を私が誓って救いますよ。あの岸へお移しいたしますよ。とういうことです。 それを唱えてから字を書く。それを唱えてから剣道する。それを唱えてからなんかする。僕は、ほんと実に嬉しく感じました。 私は、この東側に小さな道場を構えていますが、3間に8間と不思議に同じ大きさでありまして、山岡鉄舟先生に特に親しみを感じておるわけです。その山岡鉄舟先生が何をやられるんでも「衆生無辺誓願度」と唱えてからやられる。 私もそれから何でも「衆生無辺誓願度」です。それまでもちろん四弘誓願を唱えてきたけれど。その時分はわからなんだ。行政やるんでも「衆生無辺誓願度」、味噌づくりやるんでも「衆生無辺誓願度」、何でも「衆生無辺誓願度」です。また下手な字を書くときでも、先ず「衆生無辺誓願度」と書いてから字、書かしてもろうている。 全ての衆生、全ての人類を救わしてもらいますよ。そういう願を立ててですね。そしてそれを唱えながら生涯を送られた山岡鉄舟は立派です。我々はみんな自分のことだけを考えとんねん。山岡鉄舟は全ての人類を救うことを考えとんねん。その辺が大きに違う。 大文字行S.55.8.11 祈るのでも、みんな自分のために祈っとる。自分の幸せのために祈っておったってなんにもなりません。人のために祈るんです。他のために祈るんですよ。英霊のために祈るんですよね。 そうさえしておれば自分も自然と幸せになれるんです。自分の幸せのために祈ったら自分は幸せになれないんです。人のために祈ったら自分は幸せになれるんです。 大文字行S.55.8.11 自分の先祖を祭るというのは当たり前のことです。「自分の先祖を祭っとります」というて胸はっとる人ありますけど、そんなこと当たり前のことです。加えて、英霊を祭る、有縁無縁の衆生を祭る、日頃から世話になっとる人の霊を祭る、そういうことをせないきません。要するに他の霊を祭る、そういうのがなければ信仰しとり人ではないと思います。 自分の先祖を祭っとかな、今度死んだら祭ってもらえませんぞ。これはもう因果応報ですからね。自分が先祖をしっかり祭っといたら、自分が死んだら子ども達が祭ってくれます。後ろ姿見てますから。子どもは後ろ姿で真似よるんですから。 しかし、これは当然のことです。やはり、有縁無縁の衆生を祭る。英霊を祭る。こういうことをやっときますと、これが子子孫孫に伝えられていくわけです。子ども達はその姿を見てますから。こうして世の中は治まっていくわけです。 大文字行S.55.8.12 今日からはお盆で、ご先祖さんが帰って来られて、おうちでご供養申し上げるという日であります。 大事なことはその拝み方であります。ご先祖さんが帰ってこられたらどうしたら良いかと言うことです。昔からそういうことで皆疑問を持ったようであります。 そしらたら、論語の中にありますが、孔子様が「居ますが如くいつき祭れ」と教えています。生きておられるようにお仕えしたらよろしい、お祭りしたらよろしい。こういうことです。 だから英霊を祭るときでも、英霊が生きておられるのと同じように、生きておられる人が帰ってこられた。その人にいろんなものをお供えしたらよろしい。お話申し上げる。そしてお今日もあげた方がよい、とこういうことです。難しい人が帰ってこられるのでもありません。そのまま生きておられる人にお仕えするようにしたらよろしい。だからそういう様にお祭頂きたいと思います。 大文字行S.55.8.13 霊というのは決してあっちの世界におられるもんじゃありません。霊というのはいつでもここに居られるのであります。電気のついてる姿が生きてる姿であります。電気の消えた姿が死んだ姿が死んだ姿であります。だから無明です。真っ暗な世界です。無明と言う真っ暗な世界から生命というものが出てくるのです。命というものが生まれてくるのです。生まれてきたその世界というのは灯のついた世界です。 生きとる間は灯がついとるけど、夜寝とる時はうっすらついとるのですかね。だいたい暗くなっとるのですかね。 息が切れるということになりますと、灯が消えてしまう。灯が消えたらどこへ行くのか。地獄極楽があって悪い人は地獄へ行きよる。良い人は極楽へ行きよる。と、教えられておりますけれども、ここに居るわけです。一つも変わりはせんのです。ただし、電気というのはどこにでもついとるからどこにでも居られるわけです。 それが、祈るとそこへ集まってこられる、呼ぶことが出来るわけです。呼ぼうと思いますと一生懸命に祈るとよろしい。祈ると磁石の作用で、自分のどんな親しい霊も呼ぶことが出来るということです。縁の深い人はなおさら呼ぶことが出来ます。 だから、その霊はまたいつも守ってくれとるわけです。一生懸命に祭りさえしてると守ってくれてます。祭らなかったら側へ寄りつきません。これは霊も人間も同じです。与えないところへは絶対人は集まりません。与えるというのは法もあろうし、物もあろうし、いろんなものがあります。 大文字行S.55.8.13 私の師匠で谷田文夫という剣道の先生がおられた。橿原で剣道を教えておられてそこで亡くなられました。さて、突然のことで死出の装束というものがありません。剣道の先生でありましたので、白い稽古着と白い袴を買うて来いというわけで、私が葬儀委員長を務めさしてもらったのですが、すぐ用意をさせました。 えらい恰好つくんですよね。それから、剣道の高段者の方が次々に亡くなられましたが、みんなそういう装束であっちの世界へ行かれました。私もそういうことで向こうへ行かしてもらいたいなと思っておるわけです。 だからこの服装(白い稽古着と白い袴)は死ぬときの服装なんであります。そういうなので行をやらして頂いて居るとこういう訳であります。 だからどんな困難があったって必ず続きます。そういう覚悟ということが大事だと思います。それがなにも行の時だけではなしに、普段も覚悟がなければいかんのだと思いますが、まあ我々は未熟でありますので、行の時だけなと、そういう覚悟で戦争でなくなった英霊をお慰めする。 英霊が色々と苦労なさって国のために死んで下さったのであります。その苦労の万分の一でも一緒に味わうんだということで、そしてご供養申し上げるというのが我々の立場であります。そういうことでありますので、こういう稽古着姿ということにさしてもろうておるわけであります。初めは浴衣に袴というときもありました。だいたいこれで定着した訳であります。 大文字行S.55.8.14 大文字行にご縁を得たということは誠に結構なことですよね。般若心経のご縁もなかなか得られるもんじゃないのですけれども、皆さんと共に般若心経のご縁に結ばれて、そしてまた英霊をご供養申し上げるというご縁に結ばれて、大文字行という形で結ばれることになった訳であります。貴いご縁に結ばれて、本当に結構なことだと思っております。 このご縁はあっちの世界へ行ったて続くと思います。あっちの世界というけれど彼岸にあるのじゃありません。あっちの世界とこの岸は同じであります。ここにあるわけです。仏と自分とは同じ所に居るわけであります。死んで霊界に入っても、こういうご縁は一緒に続けられると思います。 大文字行S.55.8.14 |
2003.03.08