鍵田忠三郎先生 語録
 かぎたちゅうざぶろう せんせい ごろく

鍵田忠三郎先生語録

1 坐禅
  2 命  3 般若心経・祈り  4 臘八接心  5 大文字行  6 道場  7 誓願  8 態度  9 酒  10 食  11 姿  12 贈る  13 槍  14 時計  15 地震雲  16 中国  17 病気  18 書  19 その他

編集:一箭順三

11 姿


 「一瞥して尊い人に」とわしの師匠大洞良雲老師はいつも言われていた。

 後ろ姿が美しくなければいけない。

 姿は前からみると分かりにくい、顔があるからとらわれてしまう。後ろ姿を見ると顔がないからよく分かる。後ろ姿を美しくするということが大事なことである。

後ろ姿を美しくするということは、心を美しくするということだ。     日曜坐禅教室S.55.7.13

 私の剣道の師匠に谷田文夫という先生がおった。この先生は「剣道は美しくなければいかんのだ」といつも言われた。                  日曜坐禅教室S.55.7.13

だいたい、正しい姿を教えるところがない。坐禅だけがこれを教えている。昔は学校でも姿勢を教えたが、今はそれがなくなった。       日曜坐禅教室S.55.7.13

 小沢丘という剣道の先生がおられた。九段範師のこの先生と鼓坂小学校で講習会に出ていて食事をしておった。食事をしているこの時「時間ですよ」と声がかかった。。そしたらこの先生、食べかけた箸をそのまますっと置かれた。普通だったらもう一つこれだけ食べておいてとかしてしまうが、この先生一つづつをきれいに食べておられた。食べ散らかしていたらかっこ悪うてそのまま出ていくことは出来ませんが、そういう心得のある先生でした。食べることも剣道と思うてやっておられたんでしょう。だからすっと箸を置いて、すっと立たれた。見事な心掛けだなと思うた。    日曜坐禅教室S.55.7.13

 私は昔から、歩く姿の整わん奴はダメだ。整わん男に何をやらしても出来やせんのだ。と思うておりました。そんなんですから人の歩く姿をよく注意をしておりました。整うて歩いている人は本当に少ないですね。
 ずっと前です。まだ軍隊へいく前で一生懸命坐禅を組んでおった頃です。この時近鉄駅前でえらいのを見つけた。県庁前辺りからだったかな。袴はいて靴履いておるんだ。ちっちゃい、風采のあがらん人だ。ところが後ろから見たら歩き方は見事なもんだ。こんな人にもう二度と会うことは出来んだろう。この人を呼び止めてでも道を尋ねにゃいかん。こう思って、近鉄駅前で呼び止めて、「ちょっとすまんですが、お尋ねしたいことがあります。お急ぎでしょうが、時間を作ってくれませんか」と言って、駅前の旅館へ入ってもらった。マホメット教の日本での責任者でしたね。山口の人で、名前は忘れました。
 その人とはその後手紙のやり取りをしておりました。大変な人物に遭うたなと思いましたね。大変な歩き方の出きる人でした。           日曜坐禅教室S.55.7.13

 わしの祖父の葬式の時ですから22・3歳くらいの時でしたかね。五劫院でした。両側にずらっと人が並んでおる。そこを一人着物着て袴履いて、端然と悠々と歩いてくる人がおりました。なんと見事な歩き方だなとほんとに思いました。「あれ、どなたですか」と関晋太郎葬儀委員長に聞きました。「北沢という昔の知事ですよ」と教えてくれました。これはよほどの修行をしておった男ですよね。あの歩き方、いまだに網膜に焼き付いております。見事な歩き方です。
 私は、沢山の人が来られても、地位のある人が来られても、そんなんはどうこう思わない。ただ、あの瓢然と淡々と入ってこられる姿、実に見事でした。よほどの人物だったんでしょうね。しかし、葬儀の最中でしたので、教えを請うことは出来ませんでした。    日曜坐禅教室S.55.7.13

 若い自分に、大阪へ遊びに行っておって旅館の二階で人と酒を飲んでおった。そこへ電話がかかってきて一階へ降りて行った。その丁場に座っておるおじいさんの姿が実に見事でした。ちょんと座っておるのだけれど実に見事である。
 後で、女将さんに誰ですかと聞いた。杵屋勝五郎という、三味線で日本で一番という人であった。まだいまだにあの姿を覚えています。ちょんと座わっとるだけなんです。整うということになりますと、見事ですね。     日曜坐禅教室S.55.7.13

 東京へ行った時、剣道の某先生とトイレで一緒になった。その小便のしている後ろ姿が実に立派であった。あんたの小便している姿は日本一じゃ。とほめてやった。本人は笑っておったが。

  (東京から帰ってこられて)東京へ行くと、ぼつぼつと思う歩き方をしている男に何人か会うな。

 わしの爺さん(鍵田忠次郎)は、生涯正座をくずさん人だった。

 鍵田の家の居間で腹ばいになって寝ているとき、道場長が二階から降りて来て見とがめられた。「いよー、一箭君でも寝ころぶことがあるのか」。この家では畳に寝ころぶという習慣がないようだ。

  山本(亀治)君は近頃姿がきまってきた。一箭君は半年(怪我で)休んだせいか、迷いがあるのか少し乱れている。                                    S.53.2.7

 私が朝道場に入るとき、道場長は坐禅前に五劫院へお参りに向かわれる。そのすれ違いを、坐禅の後で「歩く姿が良くなった。坐禅・槍以外に何か工夫をしているのか。今日は風圧を感じたぞ。」                                    H.5冬



2003.03.08