鍵田忠三郎先生語録
1 坐禅 2 命 3 般若心経・祈り 4 臘八接心 5 大文字行 6 道場 7 誓願 8 態度 9 酒 10 食 11 姿 12 贈る 13 槍 14 時計 15 地震雲 16 中国 17 病気 18 書 19 その他
編集:一箭順三
2 命
人は人生劇場の中で喜び悲しみいろんなことをやっておる、主役・脇役いろいろな場合がある。けれどそんな人生劇場、スイッチを切ったらそれでしまい。幕降りたらそれでしまいではないか。こんな世界を上手に泳ぐためにこの坐禅をするのではない。人生劇場全体を含めて、そこの通じる真理がある。それを体得するためにやるのだ。そして舞台全体を救うために坐禅をするのだ。仏道はそのためにある。舞台以前の世界、舞台後の過去現在未来の世界が厳然とある。その真理に帰命する事によって、舞台全体を救うことが出来るのだ。 日曜坐禅教室S.55.7.6
私も地震の研究をさしてもらっておって良かったと思うのは、世の中全て電気体である。そして電気の調和の極地というのが命である。その命、その命が少しく解るような気がいたします。だで、その命が乱れると地震が起こったり、人間の体であれば病気が起こったりするということでございましょう。その命、絶対調和の所。そこの所に向かってしっかりと坐わって頂きたいと思います。しかし、そこの所はここにあるわけですよ。遠いところにあるのじゃありません。全体が電気体であるのですから。 日曜坐禅教室S.55.8.31
薬師寺の先の管長、橋本凝胤老師と言うのがね亡くなられた。亡くなられたときに僕はその姿を拝んだ。そいだら僕は一つ解決をした。何を解決したかと申しますとね、行基菩薩が亡くなられたときの姿、舎利瓶記として書いてある。「右脇にして臥し、正念常の如し」と書いてある。
その「正念常の如し」と言う言葉は私が好きで、それを自分でも何度か人に頼まれて書いたことがある。亡くなると電気というのは抜けてしまうのです。いつも僕が話するでしょう。電気の付いとる姿が生きとる姿です。岡潔先生が言われる映像世界が生きとる世界です。ところが映像をぷつんと切ると死んだ世界です。そうでしょう。それなのに亡くなっても、ひとつも命というのが去ってない。そこにぴしゃっと定まってあるんです。そういう姿を正念常の如し。
私はそれがどんな姿なんだと言うことを年来疑問としておったのです。ところが橋本凝胤老師が亡くなられた姿を見たときに、驚きました。これこそ正念常の如し、亡くなられた姿というのが悠然たるものでね。見事な姿でびしゃっと生きておられるんですね。ご正念がそこにあります。 わしは電気というたら、死んだら去ってしまうんだと思うていたら。ああ言う人になると一ヶ所に凝結して、そこに生きていくもんだな。これは本当に驚きました。ですから修行して、絶対調和というのを身につけますと、命と言うのは永遠に続いていくものです。3年前の3月25日でした。 それと共に、命の姿の本質を私はそこに見せて頂きました。 日曜坐禅教室S.55.8.31
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