鍵田忠三郎先生 語録
 かぎたちゅうざぶろう せんせい ごろく

鍵田忠三郎先生語録

1 坐禅
  2 命  3 般若心経・祈り  4 臘八接心  5 大文字行  6 道場  7 誓願  8 態度  9 酒  10 食  11 姿  12 贈る  13 槍  14 時計  15 地震雲  16 中国  17 病気  18 書  19 その他

編集:一箭順三

4 臘八接心


 この12月1日から12月8日まで八の接心と言うのがあります。坐禅者はみんなそれをやります。仏教者は全部やったんですが。

 お釈迦さんが12月8日に明けの明星を観てお悟りになる。そのお悟りにあやかって、仏教者は全部8日間坐禅を組む。最後の坐定をされたわけです。釈尊もこれで悟り得なかったら死なして貰おうと思うて、命かけてやらたんでしょうね。それが菩提樹の下で最後の坐禅をされて、そして悟りを得られる、とこういうことになるわけです。命懸けてやられたんです。お釈迦さんがこうしてお悟りになった、釈尊の悟りにあやかって、我々も一つそうさしてもらおうやないかというのでもって、12月1日から12月8日まで、みんな仏教者は坐わると、最後の坐定をやるということを皆やっておるわけです。
 習心館道場でもそれを10何年来やっております。後で案内状を差し上げると思いますが、坐禅部が主催してやっております。皆さん方もよろしかったら一緒に参加してもらいたい。
 いつもの坐禅なんです。習心館道場では毎朝の坐禅と何等かわらんのですけれど。その時だけは皆さんも、釈尊は宇宙を通ずる大真理を悟られた訳です。宇宙を通ずる命というものを観られた訳でしょうね。そして成道、道を成すということをされた訳です。そして仏教の基を開かれわけです。そこで悟って鹿野苑へ行かれて、昔一緒に修行していた5人の比丘に道を説かれる。姿を観ただけでその連中はもう解ってしまわれる。そういう悟りを得られた訳です。それから沢山の人を導かれたんですね。そして今日2600年、いまだにそれが続いて、日本なんか仏教国です。みんなそれによって救われておる。とこういうわけです。
 その釈尊が宇宙の大真理を悟られた。我々もその間は大真理とは何なんだ。宇宙を通ずる大きな真理と言うのがある。それはどんなことだろう、と言うことをよく考えたい。それと取っ組みたいと思います。
 普通の時は只管打坐、自分を放って、そいで坐定さしてもらうけど。この8日間に対しては、一つどうぞそういうことを考えながら坐定して貰いたい。
 悩みの本質とは何なんだ、老病死と言うのが人間にとって一番大きな悩みである。そういう悩みの本質て何なんだ。悩みの元と言うのは何なんだ。人間と言うのはどっから生まれてきたんだ。ほいで、何処へ死んで行くんだ。その本質その元のとこは何処なんだ。ま、その辺が解ってくると悩みの本質も解ってくるし、それを通ずる大きな宇宙の命というのが解りますよね。宇宙を支配する法則と言うのがあります。釈尊は金星を観て、宇宙の法則をああこれなんだな。四諦の悟りをもたれたわけです。そういうことを真剣に考えながら、坐わりたいと思います。私もこのA月の8日間は宇宙の大真理と取っ組むわけです。自分でもたいへん有り難いと思っております。
 この期間以外、坐禅の時に真理というものを考えません。ところがこの期間だけは釈尊がどんな悟りをされたのかとじっと考えます。たいへん有意義です。皆さんも一つどうぞ、今日から考えて下さいよ。そして、1日からしっかりと坐わってくださいよ。そして12月8日に宇宙の大真理を我悟得せり、ということになってもらったら有り難い。   日曜坐禅教室S.55.11.23

  明日から臘八の接心が始まりますが、しっかりと坐わって宇宙の大真理に徹見すると言いますか、宇宙の真理ちゅうのは何なんだということをその間体でもって考えるわけであります。釈尊は最後に命を懸けてそれをやられたわけであります。
 お互い若い時に人生を考えます。何のために生まれてきたんだろう。人間の本質ちゅうのは何なんだろう。生きてる姿ちゅうのはこれ、何なんだろう。と言うことを考えたわけです。ほいでわからんままで今日まで皆きとおる。それを何等か自分で解ったように思うとるが大したことない。
 それを根本的に考える時期なんです。いままでは自分のために考えた。自分のために自分の人生の何たるかを考えた。ところが釈尊は人類を救うために考えられた。人のために考えられた。その辺が違うわけです。自分が救われることなんて考えておられなかった。我々は二十歳位の時に、自分のために自分の人生を考えます。釈尊は人類の苦しみから救うために一生懸命に工夫された。そしてそれを悟られた。人間人間には老病死、というそして生という苦しみもありましょうし、という苦しみがある。その苦しみの根本は何なんだろう。と言うことを釈尊は徹底して考えられた。生きてる前の姿ちゅうのは何なんだろう。生とはどんなことなんだろう。と言うことを考えられた。そしてどっから人間ちゅうのは出てきたんだろう。
 生きてる前の世界は無明という暗い世界である。無明、明かりの無い世界から出てきたんである。そしてまた、明かりの無い世界に帰っていく。その無明の世界とはどんな世界なんだろう、それさえ解れば解決できます。
 その無明世界、それを徹底して考えるときです。もちろん頭で考えてはいけません。人間生きておる、それでもって頭脳ができておるんだで。そんなもんで考えたって本質は解りっこないです。しかし体自体が全体、本質の中にあることは確かなんだで。だから体自体で考えないけません。
 それをみんなでしっかりと考えようじゃないかと、こんな機会有りませんから、1年に1回ですから。釈尊は明けの明星を観て悟られたんです。そこに宇宙の本質を見いだされたんでしょう。そしてお悟りになられた。四諦の悟りと言います。
 明日からは一緒に勉強していきたいと思いますけど。その辺を皆さんも、折角の機会ですから。そして徹底して坐わるということでおやり頂きたいと思う次第であります。今日は私の方の習心館の大会があるもんですから、この辺で失礼します。 日曜坐禅教室S.55.11.30



2003.03.08