禅小話

目次
はじめに 1 音  2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概  6 お地蔵さん  7 後ろ姿   8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石  15 饂飩(うどん)会について

14 宝蔵院胤栄 摩利支天石
平成11年6月13日(日)
 一 箭 順 三

 これからお話しすることは坐禅とは直接関係がありませんが、奈良の歴史にも関係があることですので、少しばかり時間を頂き「宝蔵院胤栄 摩利支天石(ほうぞういん いんえい まりしてんせき)」について皆さんに説明とお願いをさせていただきたいと思います。
 宝蔵院流槍術は今から約400年前に興福寺の子院であった宝蔵院の僧・胤栄によって編み出された奈良が発祥の武道です。
 胤栄は庭の大石に武の神である摩利支天を祭り、槍術成就を祈り懸命に稽古をして宝蔵院流槍術を興したといわれています。こうして胤栄が亡くなったあとも、摩利支天石は江戸時代を通じて宝蔵院によって代々守りそして祭られてまいりました。
 宝蔵院は現在の国立奈良博物館の位置にありましたが、明治初年の廃仏毀釈によって上屋は総て取り払われ、敷地は国に没収されてしまいました。そしてこの摩利支天石だけが祭る人もなく取り残されていたのでした。これを残念に思われた石崎勝蔵という人がこの摩利支天石を自宅に運んで供養しお祭りをしようと発願されたのでした。
 石崎家は名門のお家で、勝蔵氏は漢方医として当時の代表的な奈良の知識人でした。この人が明治20年、軽自動車くらいもある大石を作業員十数人も動員し、ろくろをひいて何日もかけ高畑菩提町の自宅まで運ばれたのでした。
 こうして摩利支天石は石崎家のお庭で112年間大切にお祭りされてきたところでした。しかし事情があってどうしても移転せざるを得ない状況となり、奈良宝蔵院流槍術保存会は石崎さんにお願いして譲っていただくこととなりました。そして移転先は宝蔵院ご縁の興福寺さんと相談して三重塔前と定めていただき、5月31日無事御遷座させていただきました。この経緯はお配りしました資料に詳しく書かれてありますので、後ほどお読みいただきたいと思います。
 摩利支天石は2メートル余り、重さ7トンもある大石ですから、この移転にはユンボ、クレーン車、トラックなどの重機を使ってようやく運び出すことが出来ましたが、多額の費用がかかり奈良宝蔵院流槍術保存会や伝習者とも相談し、寄付を募ることとなった次第です。
 この摩利支天石は永久に興福寺三重塔前から私たちを見守って下さることになり、これは奈良市民にとって歴史的事業であります。そういうことから、この御遷座事業の一端を出来るだけ多くのご縁皆様で担いでいただければ有り難いと考えております。
 どうぞご協力よろしくお願いします。

資料

  募金のお願い

 平素より宝蔵院流槍術にご支援ご指導賜り篤く御礼申し上げます。
 さて、宝蔵院庭園に胤栄が槍術成就を祈願し稽古に励んだ「摩利支天石」が奈良市高畑菩提町に代々大切に守り伝えられてまいりました。
 この径2b余・重量7トンのお石さまを、当保存会が御寄贈を受けるところとなり、去る5月31日、宝蔵院ご縁の興福寺へご遷座させていただきました。
 摩利支天石は今後永久に、興福寺三重塔前から私達を見守って下さることとなります。私共といたしましては武道の守護神として、また観光の新しい名所として大切に守り伝えてまいりたいと存じます。
 そこで、この摩利支天石遷座の事業に広く有志を募り、ご寄付を賜りますようお願い申しあげる次第です。
 ご賛同賜ります場合は、別添振込用紙に「石」又は「摩利支天石」とご記入のうえ、お近くの南都銀行にてお納め下さいますようお願いします。

 平成11年6月





2003.02.16