禅小話

目次
はじめに 1 音  2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概  6 お地蔵さん  7 後ろ姿   8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石  15 饂飩(うどん)会について

13 喫茶店のマスターと脚下照顧
平成11年5月30日(日)
 一 箭 順 三

 今週から、受講者が順番にお話しさせていただくとのことで第一番目にご指名いただきました。
 瀬来さんからは禅語を中心に話しをするようにとのご指示を頂いておりましたので、今日は「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」についてお話しをさせていただきたいと思います。
 この言葉は、自分の足下を顧みなさいという意味で、よく玄関の靴や便所のスリッパなどの脱ぎ方からその人の心の状態が解る。だから足下に気を付けなさい、というように教えられています。
 しかし、心は靴ばかりに顕れるだけではありません。私達の心のありようが、例えば姿勢や歩き方、坐り方、所作など総てに顕れているのです。だからこそ自分の行動・所作を自分自身でしっかり見つめなさい、と教えて下さっているのでしょう。
 これは逆からも言えることで、姿勢や歩き方、坐り方、所作などを正せば心が正しくなる、つまり「姿を正せば自ずから心が正しくなる」ということになります。だからこそ私達は坐禅をさせていただいて姿を正し、結果として正しい心となりますよう日々勤めているのだと私は考えております。
 よく「行住坐臥坐禅」と教えられます。確かに素晴らしい言葉ではありますが寝ていても起きていても仕事をしていても坐禅の心、というのはなかなか実行は難しいことです。
 しかし「行住坐臥脚下照顧」ということならば、私にでも努力すれば出来そうです。自分自身の行動・所作を絶えず注意深く見つめることで、自分の心を正すことが出来るのではないかと考えているのです。そういう意味でこの「脚下照顧」は私にとって重要な言葉として修行の基本に置かせていただいている訳です。
 3月の朝食会のおり、竹下さんの配られたペーパーの中にこの「脚下照顧」という言葉がありました。これを見て私は喫茶店のマスターのことを思い出しましたので、今日はそのマスターのことをお話ししたいと思います。
 一条通りを少し西に行きますと、今は「アピ」という喫茶店がありますが、6〜7年前までは「クレヨン」という店でした。今は成功されて、店を大きくして大宮へ引っ越されましたが、当時この喫茶店は朝は5時くらいに店が開きますし、それにコーヒーが大変美味しかったのでよく通っていたものでした。
 マスターは、客それぞれに合わせて楽しそうに世間話をされていて、巧いものだなと思っていつも見ておりました。それに客が来られると、マスター自らがカウンターから出ていって丁寧におしぼりをいつも手渡しておられました。
 ある日、客の途切れた折りをみて「いつも丁寧におしぼりを渡して下さいますね」と尋ねてみました。するとマスターは「そうですねん。私は一見さんでもお馴染みさんでも、お客さんが店に見えますとようこそおいで下さいました。と感謝の気持ちを込めて直接おしぼりをご本人に手渡しております。せやけど一箭さん、お客さんはいろいろな受け取り方をされるものです。この受け取り方を見ていますと、だいたい性格やら人柄は解るもんです。まあ間違ったことおませんなあ」と言うのです。
 私はびっくりしてしまいました。今まで自分がどんな受け取り方をしてきたのか、今日の受け方さえも覚えていなかったのですから。マスターの言われるようにおしぼりの受け方にもその人の心が顕れているのだとしたら、これこそ「脚下照顧」だなとその時つくづく思ったものでした。
 このマスターのように一つ仕事に真剣に打ち込んでおられるという人は、このような見方をされているのかと驚きもし、感心もしたものでした。
 「喫茶店のマスターと脚下照顧」というお話でした。






2003.02.16