目次
はじめに 1 音 2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概 6 お地蔵さん 7 後ろ姿 8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石 15 饂飩(うどん)会について
7 後ろ姿
平成10年11月8日(日) 一 箭 順
三
坐っておられる後ろを回らせていただいて、時々姿勢を直させていただいております。中には何度も直されると気にされる方もあるかも知れませんが、「また直された」と思うのでなく、「直してもらった」と、どうぞ良い方に考えるようにしていただきたいと思います。私自身も坐っているときに曲がっていたりしたら、直していただきたいといつも思っているのですから。
今日はその後ろ姿についてお話しさせていただきたいと思います。
鍵田先生はいつも「後ろ姿の美しい人になれ」と申されていました。前には顔が付いているが、後ろ姿は飾りようがない、そのまま現れるから大切なのだのだという意味だったように思います。また、「坐っている後ろ姿を見ると、どの程度の修行か解る。なにを考えているかも解る」とも申されていました。一緒に坐らせていただいておりますと、すべてを見透かされているようでずいぶん恐ろしい気持ちもしたものでした。しかし、怖い人がいつもそばにおられるという重石のお陰で、今日まで道を誤らずにこられたのだと感謝いたしております。
私も後ろ姿の美しい人間になりたいとは考えておりますが、これはなかなか難しいことですし、自分で自分の後ろ姿が見えないものですからなお難しいことです。私には鍵田先生のように見ただけでどの程度の人か解る等ということはできません。しかし、美しくということなら、自分なりに話が出来るのではないかと思います。
美しい姿というのは、姿勢が正しいことは勿論ですが、併せて大きな坐りでなければならないのだと思います。大きな坐りとは何かといいますと、自分を考えに入れぬと言いますか、自分のための修行をしない坐りだといえると思います。修行は人さんのために坐らせてもらうのだと考えておれば自然と坐りも大きく、後ろ姿も美しくなるのではないでしょうか。
坐禅をすると、心が落ち着くとか、強くなるとか、姿勢が良くなる、健康にもなるというような効用を聞かれたことがあると思います。皆さんの中にも、こうした効果を求めて入られた方もあるのではないかと思います。確かに坐禅は正しい姿勢が求められますし、大きな息を体全体に巡らす動作ですからそういう効果は確かに現れると思います。しかし効果を求めるということは、自分の為ということですし、これに左右されると坐りが小さくなりますし、今までの経験からして長続きはしないものなのです。
逆に、効果を求めない坐りをしますと、もっと言えば自分のためでない修行、人さんのための坐りをさせていただくと坐禅が大きくなりますし、美しくなりますし、自然と長続きするものだと思います。
修証義第四章に「自未得度先度他」という言葉があります。この意味は字の通り自分は未だ救われずとも人さんが先に救われるように努力をしましょう。という意味です。普通の考えからすれば、修行は自分が救われるためにするものだと思いますが、道元禅師は人さんが救われることが修行なのだ、と仰っているわけです。これが道元禅師の基本スタンスの一つでしょうし、私達人生の基本なのだと思います。
道元禅師は、あなたが幸せになれば隣にいる私も幸せになれます。とは仰っておられないのです。あなたが幸せになることだけを願う私。それ自体が救いなのだというわけです。これを鍵田先生は「人さんのために坐れ」と解りやすく一言で教えて下さったのですね。
私を勘定に入れず、私を虚しくして、人さんが救われようと願っている私、それ自体が私の救いなのだ。と教えていただいているのだと思います。お互い人さんのための修行を心掛け、大きな坐り、結果として後ろ姿の美しいとなる坐りとしたいものです。
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