目次
はじめに 1 音 2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概 6 お地蔵さん 7 後ろ姿 8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石 15 饂飩(うどん)会について
5 気概
平成10年9月27日(日)
一 箭 順
三
今日も坐っておられる後ろを歩かせていただき、皆さんの肩を打たせていただきました。この警策を持って回る役を「直日(じきじつ)」とか「直日当番」といいますが、こうして真剣に坐っておられる後ろを歩かせて頂いたり、ましてその人の肩を打たせていただいております。これはやはり相当な覚悟が必要です。
坐禅に警策が付き物だとは申しましても、人さんの肩を打つとは本当に恐れ多いことで、自然と「打たせて頂く」という言葉になるものだな思っております。
ここに来るときはいつも人さんの肩を打つ資格が今の自分にあるのだろうかと問いかけて、ここに立たせていただくわけです。この資格とは、自身の修行が足りているかという問いかけであります。鍵田先生は「修行に於いて人さんに負けませんぞ、という気概をいつも持たなくてはいけない」と教えて下さいました。要するに、修行が人さんより出来ているぞという自信が自分になければいけないのだと思います。
今日ここに立たせていただく前には、習心館で1時間坐らせていただいておりますし、勿論今日だけではなくてほとんど毎日そのように坐らせていただいております。これは私だけではなく、竹下さんや瀬来さんも同じですし、この3人以外にも3・4名の方がほとんど毎朝習心館で坐っておられるわけです。
こうした毎朝の坐禅を続けさせていただき、人さんよりは多少でも長く坐らせていただいているぞという自信を持てるからこそ、ようやくここに立たせていただけるのだと思います。修行の量とその真剣さに於いて誰にも負けませんぞ、とこういう気概こそが大切なのだと思います。
今日は直日について申しましたが、何も直日のことばかりではありません。人間生きていればいろんな問題が起こりますが、「修行に於いては誰にも負けませんぞ」という気概さえ持っておれば、人生に於いて安心なのではないでしょうか。たとえうまく行かないことになっても、これだけ修行をさせていただいているのだから、と自分自身で納得出来るのではないかと思うのです。
昨日は宝蔵院流槍術を興福寺に奉納させていただく奉納演武会を開催させて頂きました。ここにおいでの方のなかにもたくさんお越し頂き、ありがとうございました。
この槍の奉納演武にあたり鍵田忠兵衛宗家は演武する者に、「人さんに見ていただこうと考えるな、興福寺の仏さんに見ていただき、お納めするのだと言う気持ちで演武して欲しい」と申されました。その通りだと思いました。仏相手と言うことは、結局は自分相手と言うことです。自身が誰にも負けないくらい徹底的に稽古し、これを仏さんに見て頂くのだ思って稽古をすれば、上がることもありません。大きな演武が出来るのだと思います。
人さんを相手に良いところを見ていただこうと思って演武しようとすると、肩に力が入ったり、上がってしまったり、小さな演武、格好の悪い演武になってしまうのだと思います。昨日の演武者は皆「槍の稽古においては誰にも負けんぞ」と言う気概で稽古をし、演武会に臨ませていただいたものと思っております。
こうは申しましても、実際私がいつも今申し上げたとおり修行が出来ているかと言いますと、なかなかそうは参りません。今日はいけない、まだまだ足りない。と反省ばかりの日々を送っているわけです。
お互い「修行に於いては人さんに負けませんぞ」という気概を絶えず持ち続ける努力の人生を送りたいものです。
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