目次
はじめに 1 音 2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概 6 お地蔵さん 7 後ろ姿 8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石 15 饂飩(うどん)会について
2 槍の位
平成10年8月16日(日)
一 箭 順 三
私は、宝蔵院流槍術という奈良発祥の武道を稽古させていただいております。ここは坐禅の教室ではありますが、通じるところもありますので今日はその槍の話をさせていただきたいと思います。
槍教室に6〜7年前、村田友春という人が宝蔵院流槍術を教えて欲しいとやってきました。この人は鹿児島出身の人で「示現流をこれだけやってきました」とか、「私にだけ槍を教えて下さい、他の人はどうでも宜しい」などと平気で言うような人でした。困ったなと思いつつ一緒に稽古をしてきました。だいたい、自分のことを良く言う人、おしゃべりな人というのは、今までの経験からして坐禅でも槍でも続かないものですよね。
村田さんの家は貝塚市の電話も来ぬような山奥にあるものですから、ここへ来るのに2時間くらいかかるのですが、それでも毎週土曜日熱心にやって来て稽古を続けてくれました。近頃黙って稽古をされるようになってきたなと思って見ておりますと、私のところへやって来て「一箭さん、槍には力強さや技も大切ですけれども、位が一番大事ですね」と言うのです。ああ、この人解って下さったなと思いました。
村田さんの言う「位」とは、2段・3段という位ではなくて、気位、気品とも言い替えることが出来るかもしれません。あるいは、その人の持つ電気量の大きさ・美しさということだと思います。
槍は、伝えられた技を確実に、そして力強く演武することだけなのです。しかし、それだけで演武いたしましても、面白くも何ともありません。魅力がないのです。この人の槍を見ていたい、という気を起こさせないのです。やはり、村田さんの言う「位」と申しますか、電気の大きさ・美しさがなければならないのだと思います。
鍵田先生は「宝蔵院流は、人さんを教化(きょうげ)する槍でなければならない」とおっしゃっていました。槍で教化せよとは随分難しいことを言われるなと思っておりましたが、槍の電気の大きさとその美しさ、これが人さんを教化できるということなのかな。とこのごろ考えております。これが村田さんの言う「位」だろうと思います。
同じように坐禅にも「位」というものがあると思います。坐る姿がそのまま悟りの姿ではありますが、それはやはり「位」がなければいけないのだと思います。坐りの姿がそのまま人さんを教化できるような「位」の坐禅となりますよう、つまり、電圧を大きくする努力、そしてその電気を美しくする努力が必要なのだと思います。お互い弛まず修行に励ませていただきたいものだと考えております。
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