私の信仰

鍵田忠三郎先生語録 大文字送り火行を創始する 川路聖謨先生顕彰碑 剣道と人生「一剣興国の習心五則について」 石田和外先生を偲ぶ わが師を語る 私の信仰 坐禅のすすめ 雲による地震予知 般若心経百万巻を読誦し得て 標語市長4,380日 鍵田忠三郎先生逝く 

私の信仰
鍵田忠三郎
昭和5611

 本稿は去る1115日、御所市民会館に於ける、奈良県真言宗壇信徒大会に於いて、「私の信仰」と題して、僧俗1200名の会衆を前に講演させていただいた速記録を中心に要旨をまとめ、補筆したものであります。

 私は、奈良大安寺に御縁を得、四国に遍路をさせていただき、お大師様にいのちを救われた者でございます。
 さきほど来、阿倍野宗務総長さんがお話しになりましたところによると、先生もお若い時、胸が悪くて喀血をされ、どうにもならない時にお大師様のお力で救われたとおっしゃっておられましたが、実は私も胸がひどく悪く、軍隊から復員した時から喀血を11度ほど重ねました。
 そのような病体で会社の仕事をしておりましたので、身体に無理が重なって心臓は肥大し、脚ははれるし動悸はうつ、加えて膵臓が腫れ上がりまして食事もできない状態になりました。実は、それまでにも二度ほど医者から死の宣告を受けたこともあるのです。
 だから、私が遍路に出発する時は医者から死を宣告され死を待つ状態でした。それが生きて還ったので、奈良医大の緒方学長がいまもこう言われます。「鍵田の身体だけは静断を誤まった。2ケ月もたないで死ぬと思ったよ」と。
 実は私は、若い時分から禅寺にずうっと座禅に通っておりましたので、死ぬ時は、托鉢をしながら人知れず異郷の山河で死なせてもらい度いという願いをもっておりました。奈良では托鉢をしてもこれは修業になりません、皆顔を知っていますから余分の恵みを受けてしまいます。托鉢は布施行でありますので、余分な恵みを受けてしまうと托鉢本来の心がなくなってしまいます。だから私は、九州か東北で、私の顛を知らない所で只一人、托鉢をしながら死なしてもらおうと思っておりました。
 病気も悪化し、丁度その時がきたように思いましたので、もうこの辺で、年貢の納め時であると、自分でも思っていました。
 だから、大安寺の河野管主さんに、托鉢の行先について相談したところ、「四国に行きなさい。四国は恰好の乞食場所です。八十八ケ所霊場という托鉢道場です」と、導いて下さったわけです。それが私と遍路とのご縁の始まりであります。
 準備に一ケ月程かかり、312日に出発致しました。お金は一切持たずに一人で歩くのです。遺書を書きましたが、老母がおりましたので、母には、「遍路に行くと、どんな悪い病気でも治ります。必ず治って帰って来ますから・・・」と言っておきましたが、自分では助からないと決めて出かけたのです。
 その時、私には幼い三人の子供がおりまして、私が四国で死んだ後に、お前の父親は、四国で乞食をしながら野垂れ死にしたのだ、と言われると何も知らぬ子供達が可愛想でありますので、私は旅日記を克明につける事にしました。死の瞬間まで、いかに苦しくとも日記を書いておいて、子供達には、親父はこんな心境で死んで行ったのだと、残しておきました。それが後程出版され、今だに11版を重ねている『遍路日記』なのです。
 断りきれず、一緒に死んでやるという、病身の河原淳悟君を同行として出発致しました。21年前の3月、まだ寒いお水取の日の事でした。この日は父の祥月命日でもありました。そして、お大師様の正寺となすと云われた、大和大安寺から出立させていただきました。
 遍路の最初は、阿波の国でありますが、ここが発心道場、次の土佐の国は修行道場、その次の伊予の国は菩提道場、そして讃岐の国は捏磐道場、その四つの道場を巡拝させていただいたわけですが、発心道場は全部歩かせてもらいましたが、まだ死にません。途中私は何度か、もう今夜は冷たくなってあくる朝は死んでおるのであろうと思って寝るのでありますが、朝になるとまたちゃんと生きていて歩けるんです。
 四国の道はほんとに不思議な道でございます。私の身体は、医者がもう医学的にはだめだと言うぐらいの身体ですので、全体にだるく、呼吸困難で心臓の動悸は激しく、一里の道も歩けるもんじゃないんですが、多い時には焼山寺から大日寺まで一日九里も歩いているんです。それなのになかなか死なない。
 然し、もうぼちぼちお迎えが来るようにと思いながら、ずうっと歩かせていただいて、阿波の国23番を打ち終り、次の土佐の国へ入らせてもらい、室戸岬の24番最御崎寺までよくぞ生きて来得たものと思いました。
 そして、土佐の27番神峯山で、私は生命を救われるんです。ここは土佐の関所になっております。
 丁度、大和の二上山と同じ470米の高さですが、海岸から直立していますので、えらく高く感じます。くの字登りをあえぎながらつま先上りするのです。
 そこで、いよいよあの世からのお迎えがあり、私も暗い世界に入りました。どうなったかちょっとよく解らないのですが、休んで座っていてそのまますうっと暗い世界へ入ったんですが、人間死ぬ時は、戒壇巡りのような暗い世界へ引き込まれていくんです。
 意識は少しは働らいているので、これで死なしてもらうんだなぁと思いました。
 少したって、その時私は暗い世界に放て大きな「いのち」というものを見る事ができました。暗い世界で私は、「いのち」のごうごうと音を立てて流れる、ピカツと輝く大きな生命に出会ったのです。私はそれを見て、ほんとにこんなに大きな人間の力で、いや如何なる大きな力を以ってしても犯し動かす事の出来ない大きな生命がある限り、私が自分で勝手に死ぬの生きるのと言ってきたのは大生命に対して僭越至極である、これは、全てこの大生命にまかせておかねはならぬと思いました。
 そのことを私はその暗い世界の中ではっきりと自覚しておりました。そして、それで眼が覚めたのです。極限の仮死状態から生きかえったのでしょう。眼が覚めると、今度は一ペんに夜が明けたように明るくなりました。今までは、死なせてもらおう、もう早くお迎えに来て下さらんだろうかと思って歩いていましたが、大生命に徹見してからは、今度は一ペんに目先が明るくなっていくらでも歩けるんです。一ぺんに蘇ったというか、生きかえったわけです。
 このピカツと輝く電気のような大生命に出会うと、生きる喜びを感じ、病気もいっペんに治ってしまうのです。考え方も変りますし、欲心の皮もいっペんにはげてなくなってしまいます。そして、生れ変ったようになるのです。
 そしてその後は、土佐の遍路道を元気にいくらでも歩けるのです。
 やがて土佐一国を打ち終り、伊予の国に入り、45番の岩屋寺に到着いたしました。そこの御本尊は、お不動さんを祀っている大和の初瀬寺の末で、石槌山の岩山の中腹にあります。
 河原君と共にくの字の岩道を登り、御本尊さんの前で一心に読経しておりますと、その辺の少林寺拳法の二人の黒衣の行者が明らかに私に向って鋭い気合をかけて参りました。その時、私は武道の不動心について闊然悟るところがありました。ほんとに有難いことでした。
 それまでの私は、剣道の稽古をしますとすぐ喀血してしまうのです。その為にもう生涯剣道の稽古は出来ないと思っておりました。それが、「いかに激しい稽古をしても、心さえ動じる事がなけれはもう喀血することはない」と悟ることができました。
 その時に、今の一剣興国の不動心を習う、習心館道場をつくらせてもらったので、その後は、今だに喀血もせず稽古もさせてもらい汗も出させてもらっています。
 その45番でも、不動心の悟りを得て人生88才の縮図である八十八ケ所霊場を全部観せていただき最後の大窪寺まで歩き通し、生命救われたことについて、只合掌し御礼を申し上げた次第です。
 そして、生きて故郷に帰る船の中で、四国の山河、四国の山々を眺めて、八十八番霊場に合掌して、心からのお礼を申し上げました。
 その時に、私は、若い時代に東京で短い期間でありましたが弟子入りを致しました、かつての慧海禅師のことを想い出しました。
 禅師は、座定したまま亡くなられましたが、死ぬ前に私達に言われたのです。 「米寿の祝いの出来る、長生の出来る人生が尊いのではありません。お金を得たり、地位を得たり、名誉を得たり出来る人生が尊いのではありません。ただ今に、道を求めて精進出来る人生が尊いんです」と。その御遺言の真の意味が、その時はっきりと解ったと思いました。その時初めて私は、病気をするというのは、自分で成功しようとか、・名利についての欲が、いまだに抜け切れずにいるからだと思いました。当時、修業にも精を出していましたが、まだ欲心の虜であったのでございましょう。だからこそ、病気もするのだし医者からももう駄目だとも云われるのだ、と思ったのです。
 
然し、一度死んで生きかえり、欲心の夢さめて師匠の遺されたその言葉の意味がはっきりとわかったわけです。
 又、その船の中で、私は遺書を書いて遍路に出て来た男、今こうして生きて帰らせていただくことになったのですから、今後の私の人生の計画変更もせねばなりません。私はその時、一切自分の欲でもって今後、仕事は致しません、成功・利益を期しての仕事は致しません、私はただ、力を抜いて、だらりの心掛けで一切私心を去って随縁千万里で、生命続くかぎり般若心経百万巻を上げさせていただきますと、お大師様と、四国の私を救ってくれた山河に合掌し、誓ったわけです。
 然し、心経百万巻達成までは、私の生命がもたないかわかりませんが、只一心に般若心経百万巻をやらせてもらおうと、決心した次第です。私はそれから、医者に診てもらっておりません。医者とは、特に主治医には悪かったが、絶縁を致しました。
 然し、病気に対する覚悟はできたし、心も晴れましたが、その後も私は時々、熱を出したりはしておりました。しかし、私は、その後、主治医には悪かったがお大師様には診てもらいますが、医者には診てもらわないことにしております。
 この間、私は、高野山の阿倍野総長さんの書かれた『生かせいのち』という本を大安寺さんからいただき、読ませてもらいました。なるほど、いろいろ宇宙本然の「いのち」について教えられる所がありました。
 その中で説かれてあります、大師の偉大な「いのち」というものを、私は遍路で実際に観せてもらい、一ペんに大病が治ったのですから、私は幸せ者です。
 
私は、若い時、禅寺で、「懸崖に掌を撤して絶後に蘇る」とか「大死一番、本性に徹見せる」とか、その宇宙を貫く大きな「いのち」に徹見することを教えられて来ました。
 「一度死んでこい。大死一番せんと、本当のいのちと本性は見えないぞ」と。
 私は、おかげで、四国遍路で一度死なせてもらって、蘇らせてもらったわけですが、その時に、一番大事な「いのち」を、神峯山で見せてもらって、一ペんに四つの大病も治りました。心の病気が治ると、身体の病気も治るものなのです。
 また、岩屋寺で不動心を悟ってからは、剣道の稽古も喀血せずに、出来るようになったのです。有難いことです。
 そして私はまず、般若心経百万巻に御縁ができ、今日まで、百万巻読経を続けさせていただいてきたわけです。
 私のその時決心した般若心経百万巻というのは、大変な仕事であることがわかりました。一日百巻づつ欠かさず30年間あげて、それで丁度百万巻であります。
 私はその後、今日まで、21年間、専修般若心経読誦の人生を歩かせてもらって、今年の101日で、90万巻あげ得たわけでございます。
 私は今年は、毎日275巻宛あげております。昨年のそれは220巻でありました。昨年、四期やらせてもらってきた奈良市長を辞めてから、少しく暇が出来ましたので、少し増やしたのです。
 来年は、満願を予定しておりますので、一日、330巻宛は、あげさせていただきます。
 そうしますと、来年の725日で私も還暦を迎えますが、その時に丁度百万巻成就という事になるわけです。
 「只今に、精進する人生が尊いのじゃ」と師匠に教えられてきて、只今に精進する方法として、般若心経を毎日あげつづけて参りたいと考えております。
 おかげで私は、四国遍路で尊い大生命を観せてもらい、大病も治してもらいました。その仏の大生命、真言密教でいう大日如来という宇宙のいのち、そのいのちが、私には少しく見えます。それに、只今の精進以て近づく努力こそが、正しい信仰生活であると信じております。
 宇宙には、大きな「いのち」があります。その「いのち」に感応されて小さく灯のついた「いのち」が我々の生命であります。気を吸うと、大きく点灯し、気を吐けば灯が小さくなる。
 
そして、それの繰り返しが生死であり、人生であります。しかし、その我々の小さな生命の灯は、大きな宇宙の大生命に電気的に感応して点灯しているわけであります。だから、その本性の電気の如き宇宙を貫く大きな「いのち」にふれた時、どんな難病も治るものであります。病気とは、字の通り気の病であります。その本然の大気にふれた時、病む事がなくなりますので、病気はなくなるのです。また、それだけではなく、気の本体に合一すると、神通力が得られ、多くの人々の病気も治す事が出来るのです。その大きな「いのち」を観、それに感応する時、我々の生命の灯は、小さな灯であるけれども、偉大なる力を発揮するのであります。
 森羅万象全て、いのち宇宙の偉大な生命の顕現でありますので、私達の生命が宇宙の大生命に感応道交する時、全て森羅万象が私達を自然に集り援けてくれるというような現像が起るものなのです。その反対に、我々の「いのち」が、宇宙の大きい「いのち」に反し、感応道交せぬ時、森羅万象は我々の全て敵に廻り、吾々に大きな災害を加えるということも起り得る事なのです。恐ろしい事です。
 次に、先程、午前中にこの会場で高野山管長様から、皆さんが受戒されたのでありますが、受戒いたしますと、受戒入位といいまして、仏様の位に入ると申します。
 戒律をちゃんと守ると、その仏という宇宙の大生命と合一できるぞと、いうことです。
 その仏様の大生命と一つになることが出来ますと、神通力という大きな力も与えられるのです。人の病気も治せるし、お大師様と同じく、衆生済度という、ほんとうに大きな仕事が出来るし、自分も本当に救われるのです。
 そのような、仏様の大きな生命・大日如来に近づき、合一する努力と、そのいのちを活す努力が、我々の正しい信仰なのであり、信仰の目標はそこにあると信じます。高野山の『生かせいのち』の意義も、この辺にあると私も考えているところです。
 「私の信仰」についての考え方を、遍路の体験を中心に、30数分でかいつまんでお話し申し上げたわけです。
 未熟な私の、信仰についての考え方でございましたが、「いのち」の本質にふれて、体験をお話しさせていただきました。
 有難うございました。         合掌

2003.05.18