植桜楓之碑

川路聖謨
川路聖謨年譜 寧府紀事 島根のすさみ 寧樂百首 植櫻楓之碑


植櫻楓之碑(しょくおうふうのひ)
川路聖謨の自撰自筆(碑文は漢文)














興福寺・猿沢池畔

植櫻楓之碑      

寧樂之為都 自古無火災 是以閲千餘年之久 而巋然猶存者 不遑枚擧 荳大龢國天孫始闢之地 故有神或佑護之歟 且土沃民饒 風俗淳古 毎至良辰美景 則都人挈榼 遊于興福東大二大刹 敷筵設席 遊嬉歓娯 洵撃壌之餘風 太平之樂事也 當此時 遠遊探勝者 亦自千里而至 故二刹多嘉木奇花 而寶暦中 有植櫻千株者 寝就枯槁 今則僅存耳 今年都人相議 欲復舊觀 乃植櫻楓數千株於二刹中 以及于高圓佐保之境 一乗大乗両門跡 嘉之賜以櫻楓數株 於是靡然仰風 而欣之者相繼 遂蔚然成林矣 花時玉雪之艶 霜後酣紅之美 皆足以娯遊人而怡心目也 衆人喜甚 将建碑勒其事 請記於余 余謬承寵命 尹此地既五年矣 幸由僚屬之恪勤 風俗之醇厚 而職事多暇 優游臥治 累歳無滞獄 囹圄時空 而國中竊盗亦減過半矣 由是官賞賜属吏 而都人亦得以樂其樂 况今有此擧 不唯都人得其樂 而四方來游者亦相與亨其樂 此余所欣懌而不能已也 然歳月之久 櫻也 楓也 不能無枯槁之憂 後人若能補之 則今日游觀之樂 可以閲百世而不替 此余之所望于後人也 故不辞而記之 以勒諸碑 一乗法王為題其額 余文譾陋 不足観然法王親翰 則足使櫻楓増光華矣

嘉永三年歳次庚戌三月寧樂尹従五位下左衛門尉源朝臣聖謨撰幷書

植桜楓之碑 

寧楽の都たる、古より火災少なし。是を以て千年余年の久しきを閲して、巋然として猶存するもの、枚挙に遑あらず。それ大和國は天孫始闢の地なり。故に神有りて、或いは之を佑護するか。且つ土沃え、民饒に、風俗淳古にして、毎に良辰美景に至れば、則ち都人榼を挈げて、興福・東大の二大刹に遊び、筵を敷き席を設けて遊嬉歓娯す。洵に撃壌の余風、太平の楽事なり。此の時に当り、遠遊探勝の者、亦千里より至る。故に二刹嘉木奇花多し。而して宝暦中に桜千株を植うる者あるも、寝就枯槁して、今則ち僅かに存するのみ.今年都人相議し、旧観に復さんと欲し、乃ち桜楓数千株を二刹中に植え、以て高円・佐保の境に及ぶ。一乗・大乗の両門跡之れを嘉し、賜るに桜楓数株を以てす。是に於て靡然として風を仰ぎて之れに倣う者相継ぎ、遂に蔚然として林を成す。花時玉雪の艶、霜後酣紅の美、皆以て遊人を娯しませて心目を怡ばすに足るなり。衆人喜び甚しく、将に建碑して其の事を勒さんとし、記を余に請う。余謬って寵命を承け、此の地に尹として既に五年、幸いにして僚属恪勤、風俗醇厚に由り、職事暇多し。優遊臥治すれども、累歳滞獄なく、囹圄時に空し。国中の竊盗亦過半を滅ず。是に由りて官属吏に賞賜す、而して都人亦以て其の楽しみを楽しむを得。況んや今此も挙有るや、唯に都人の其の楽しみを得るのみならずして、四方の来遊の者も亦相与に其の楽しみを享く。之れ余の欣懌して巳む能わざる所なり。然れども歳月の久しき、桜楓は枯槁の憂無きこと能わず。後人若し能く之を補わば、則ち今日遊観の楽しみ、以て百世を閲しても替わらざるべし。之れ又余の後人に望む所なり。故に辞せずして之を記し、以て諸を碑に勒す。一乗法王、為に其の額に題す。余の文の譾陋は観るに足らず。然れども法王の親翰、則ち桜楓をして光華を増さしむるに足らん。

嘉永三年歳次庚戌三月 寧楽尹従五位下左衛門尉源朝臣聖謹撰幷書


2005.11.26