ならひゃくしゅ 

川路聖謨
川路聖謨年譜 寧府紀事 島根のすさみ 寧樂百首 植櫻楓之碑


寧樂百首
著者  二絛澹齋(にじょう たんさい)・一乗院宮坊官
序    越智黄華・奈良正気書院主
     川路聖謨・奈良奉行
評    寺門靜軒・江戸碩儒
跋    佐々木西里


川路左衛門尉聖謨之序
余生天下幅湊之地、在激職三十年。渡林風濤往佐渡、或攀絶嶮廬岐岨、鑒人物經事變多
矣。客歳来寧楽。観東大寺大佛、始驚有天下偉大之物。一日得辱一乗法王延招、奉驚咳
九天堂中。接龍歩鸞音、又驚其叡明矣。二條澹齋者法王之幹事臣也。好書又能詩。來官
邸對酔吟。吾常謂、法王之有澹齊、所謂龍而雲焉。惜哉、降澤於興福寺二萬五千石之地
耳。而任僧祝兼為獄訟、錢穀亦司之。終日熱劇而宏才餘綽。近者自寧樂山水之勝、至于
梨園小伎、悉賦一百首。既成求序於余。余讀之、經事綜物之才、不費意於蟲琢、而胸中
之薀、自成珠磯。至于風俗人情、無不曲盡如躬踏其地而目覩其事。大得惠民之益、盡日
不覺倦□、服其精密。是雖全豹之一斑、而其炳蔚於此詩乎。見之。

 嘉永辛亥(1851)六月、自幕府鶴書到。将歸東郡前日、忙劇中走筆漫書之

                                     寧樂尹 左衛門尉聖謨

1  南都
    衰殘千載古皇州 當日繁華何處求
    春嶺花兼秋野鹿 凄涼節物富閑幽

南都(なんと)
 衰殘たり千載古(いにしえの)皇州 
 當日の繁華何れの處にか求めん
 春嶺の花兼(けん)秋野の鹿 
 凄涼たる節物閑幽に富めり


2  春日社
    儼然寧楽一靈神 神德和光市巷塵
    林杉欝々千年老 華表高邊麋鹿親
春日社(かすがしゃ)
 儼然(げんぜん)たる寧楽の一靈神 
 神德光を市巷の塵に和す
 林杉欝々として千年老 
 華表(かひょう)の高き邊に麋鹿(びろく)親しむ


3  兩御門跡
    大乗元是一乗流 南北相分法德侔
    休道兩雄無兩立 牡丹與菊富千秋
兩御門跡(りょうごもんぜき)
 大乗は元是(こ)れ一乗の流れ 
 南北相(あい)分れて法德侔(ひと)し
 道(い)う休(なか)れ 兩雄兩(なら)び立つ無しと 
 牡丹 菊と與(とも)に千秋に富む


4  官府
    尹官新建慶長年 恵似春風治益全
    十有五郡千萬戸 戸門不鎖夜安眠
官府(かんぷ)
 尹(いん)官新(あらた)に建つ慶長の年 
 恵は春風に似て治(ち)益(ます)ます全(まった)し
 十有五郡千萬戸 
 戸門鎖(とざ)さず夜安眠す


5  明教舘 即學問所
     
常讀聖經講日新 豁然教化幾多人
     
大哉萬世昇平具 不失君臣父子倫
明教舘(めいきょうかん)即ち學問所なり
 常に聖經を讀みて講日に新たなり 
 豁然(かつぜん)として幾多の人を教化せしならん
 大なる哉(かな)萬世昇平の具 
 君臣父子の倫を失せず


6  興福寺
     法燈千載照三乗 唯識因明世々承
     荒廢無人耐惆悵 草深数尺感情増
興福寺
 法燈千載三乗(さんじょう)を照らす 
 唯識因明世々承く
 荒廢して人無く惆悵(ちゅうちょう)に耐え 
 草深きこと数尺(せき)感情増す


7  勧學院 一曰中院屋
     聞説法筵月二回 因明講問意深哉
     神君別附益千石 萬世永為勧學媒
勧學院 一に中院屋と曰く
 くならく法筵を説くこと月二回 
 因明講問 意深き哉(かな)
 神君別に附し千石を益す 
 萬世永く為勧學の媒(ぼう)を為す


8  東大寺 境内有老杉曰良辨杉
     金堂珠閣倚山巖 古佛儼然渾不凡
     當初創寺人何處 仰看高標千尺杉
東大寺 境内に老杉有り、良辨杉と曰く
 金堂珠閣 山巖(さんがん)に倚(よ)り 
 古佛 儼然として渾(すべ)て凡ならずや
 當初寺を創りし人は何處にありや 
 仰ぎて看る 高標千尺の杉

9  大安寺
     休向村翁問昔時 昔時談盡使人悲
     郊南路没難來往 田畔青々蔓草滋
大安寺
 向村翁に向かいて昔時を問うを休めよ 
 昔時 談じ盡して人をして悲しまむ
 郊南の路没して來往し難し 
 田畔青々 蔓草滋(しげ)る


10 元興寺
     誰識伽藍昔日隆 門屏久廢混街中
     遠近先望元興寺 五重飛塔聳晴空
元興寺
 誰れか識る 伽藍昔日隆(さかん)なりしを 
 門屏 久しく廢して街中に混(まじ)る
 遠近先(ま)ず望む元興寺 
 五重の飛塔晴空に聳(そび)ゆ


11 薬師寺
     郡山之北梵王宮 千載藥師佛德隆
     二月春風造華會 古鐘聲響四方通
薬師寺
 郡山(ぐんざん)之北 梵王の宮 
 千載の藥師 佛德隆(たか)し
 二月春風 造華(ぞうげ)の會(え) 
 古鐘の聲 四方に響きて通ず


12 西大寺
     水煙澹々樹重々 寺在西郊青野東
     此丘爲避世塵事 終日讀經寂莫中
西大寺
 水煙澹々(たんたん)として樹重々(ちょうちょう)たり 
 寺は在り西郊青野の東に
 此丘(びく)は爲(ため)に避く 世塵の事 
 終日の讀經 寂莫の中(うち)


13 白毫寺
     十里西南望不遮 田塍似畫趣無涯
     山頭只有墳塋列 頓使人心惜歳華
白毫寺
 十里西南望(ぼう)遮(さえぎ)られず 
 田塍(しょう)畫に似て 趣(おもむき)涯(はて)無し
 山頭只だ有り 墳塋(ふんえい)の列 
 頓(とみ)に人心をして歳華(さいか)を惜しまむ


14 法華寺
     疎松翠竹高門古 一逕苔青少客來
     當識光明皇后跡 女僧多聚雨花臺
法華寺
 疎松(そしょう)翠竹 高門古し 
 一逕苔青く 客の來ること少なし
 當(まさ)に識るべし 光明皇后の跡 
 女僧多く聚(あつま)る雨花の臺


15 招提寺
     小徑苔青人不到 雨花臺畔日寥々
     今日我來翫春色 緑陰深處鳥聲嬌
招提寺
 小徑 苔青く 人到らず 
 雨花の臺畔 日(ひび)に寥々(りょうりょう)
 今日 我來たりて春色を翫(もてあそ)び 
 緑陰深き處 鳥聲嬌(きょう)なり


16 龍松院 
     東大寺勸進所 祖師公慶上人再營大佛殿
      
從古毎多碩學師 于今院内滿沙彌
     公慶德蒹尊像大 算來畢竟得相宜
龍松院 
  東大寺勸進所なり 
  祖師公慶上人大佛殿を再營す
 古(いにしえ)より毎(つね)に多し 
 碩學の師 今院内に沙彌(しゃみ)滿ちたり
 公慶 德蒹 尊像大にして 
 算(かぞえ)來れば 畢竟相宜(よろしきを)得たり


17 大佛
     元是西方異域人 青銅鑄造一千春
     儼然南面此王者 仰見亭々數丈身
大佛
 元是れ西方異域の人 
 青銅の鑄造 一千春
 儼然(げんぜん)として南面し 王者に此す 
 仰ぎ見れば 亭々數丈の身なり


18 二月堂
     竺仙元是大慈心 能濟迷因塵土臨
     参禅日夜幾多客 一念読誦經世音
二月堂
 竺仙は元(もと)是(こ)れ大慈の心 
 能(よ)く迷因(めいいん)を濟(すく)い塵土に臨む
 参禅 日夜幾多の客 
 一念經を誦(よ)む観世音


19 若草山
     奇峯突兀 明浄似粧常自閑
     應知仁壽無彊域 不老千年若草山
若草山
 奇峯 突兀(とつこつ)として窓間に掛(かか) る 
 明浄なること粧に似て常に自ら閑なり
 應(まさ)に知る 仁壽(じんじゅ) 彊域無きを
 不老千年の若草山


20 春日大宮祭
     天使粛然車駕臻 春冬兩度祭儀新
     青杉樹下白衣客 危坐霜風夜焚薪
春日大宮祭(かすがだいきゅうさい)
 天使粛然(しゅくぜん)として車駕臻(いた)り 
 春冬兩度 祭儀新(あらた)なり
 青杉樹下 白衣の客 
 霜風に危坐して 夜薪(たきぎ)焚(た)く

21 同少宮祭
     大祭従来四國聞 暁天群客恰如雲
     百餘競馬數成樂 供得神前武與文
同少宮祭(どう しょうきゅうさい)
 大祭は従来四國に聞ゆ 
 暁天(ぎょうてん)の群客 恰(あたか)も雲の如し
 百餘の競馬 數(しばしば)樂(がく)を成し 
 供し得たり神前に武と文を

22 同神幸
     凛列風寒夜四更 山間路暗不分明
     神輿幸處聲如湧 父老稚兒拍手迎
同神幸(どう しんこう)
 凛列(りんれつ)として風寒し 夜四更(しこう) 
 山間 路暗く分明ならず
 神輿(しんよ) 幸(みゆき)しし處(ところ) 
 聲湧くが如く   
 父老稚兒 拍手して迎う

23 同還幸
     炬光忽滅一蹤通 滿鼻香烟冥漠中
     唯聞玉笛與人籟 拜送神與次第東
同還幸(どう かんこう)
 炬光 忽ち滅す一蹤(しょう)の通(みち) 
 滿鼻の香烟 冥漠(めいばく)の中(うち)
 唯聞く 玉笛と人籟(じんらい)と 
 拜して神與の次第の東するを送る


24 遍昭院懸鳥
     供得盛牲獣又禽 不増不減古猶今
     年々二十二三日 遍昭院中作肉林
遍昭院懸鳥(へんじょういんのけんちょう)
 供し得たり 盛牲 獣又(また)禽 
 増せず減せず古(いにしえ)猶(なお)今の如し
 年々 二十二三日 
 遍昭院中 肉林を作す


25 
     四方爭買平城酒 風味美丼到口清
     初霜末廣皆奇醸 能使豪徒醉不醒

 四方 爭い買う 平城(へいじょう)の酒 
 風味美丼(びせい)口に到りて清し
 初霜(はつしも) 末廣(すえひろ) 皆 奇醸(きじょう) 
 能く豪徒をして醉うて醒(てい)ならず

26 茶粥
     茶粥鄙名萬里通 誰知節儉古時風
     不論晴雨暑寒日 朝暮竃煙簇市中
茶粥(ちゃがゆ)
 茶粥の鄙名(ひめい) 萬里に通ず 
 誰れか知る 節儉古時の風
 論ぜず 晴雨暑寒の日 
 朝暮 竃煙(そうえん)市中に簇(むら)がる

27 
     今古名高寧樂布 衆人競衣歩炎陽
     請看般若寺邊北 恰似漫々雪後岡
(ふ)
 今古より名高き寧樂の布 
 衆人競い衣(き)て炎陽を歩く
 請う 看よ般若寺邊の北 
 恰(あたか)も似たり 漫々として雪後の岡に

28 
     元是紅燈滿室煙 製來翠色隘花箋
     風流自結文詩友 松井芳名與墨傳

 元是れ 紅燈 室に満つ煙 
 翠色を製し来たりて 花箋に隘(あふ)る
 風流自ら結ぶ 文詩の友 
 松井の芳名 墨と與(とも)に傳う


29 團扇
     要識平城團扇巧 素紈青竹引凉風
     不憂三伏炎々熱 一掃驅除掌握中
團扇(だんせん)
 識るを要す 平城の團扇の巧なるを 
 素紈(そがん)青竹 凉風を引く
 憂えず 三伏(さんふく)の炎々たる熱 
 一掃して驅除す 掌握の中


30 木偶
     寸餘木偶窮奇巧 五采燦然存古風
     請看形勢渾生色 不與尋常剪刻同
木偶(もくぐう)
 寸餘の木偶 奇巧を窮(きわ)め 
 五采燦然(さんぜん)として古風を存す
 請う看よ 形勢渾(すべ)て生色 
 尋常の剪刻(せんこく)と同じからず

31 木辻
     此郷無夜不春陽 連戸張燈凝艶粧
     別有檐前老婆立 慇懃誘引富家郎
木辻
 此の郷(ごう)夜として春陽ならざるなし 
 連戸の張燈 艶粧を凝らす
 別に檐前(たんぜん) 老婆の立つ有り 
 慇懃(いんぎん)に誘引す富家の郎を

                              
32 南大門納涼
     風吹水上新凉起 月出山間爽氣澄
     夜々來酌多少客 野肴濁酒價尤增
南大門納涼(なんだいもんののうりょう)
 風は水上に吹き 新凉起る 
 月は山間に出て爽氣澄む
 夜々(よよ)來りて酌(く)む 多少の客 
 野肴(やこう)濁酒 價尤(もっと)も增す

33 東大寺鐘 八景之一
     元是古鐘第一名 家々驚夢枕邊聲
     癡雲假使蔽山月 淸濁慣聞卜雨晴
東大寺鐘 八景之一
 元是れ古鐘第一の名あり 
 家々の夢を驚かす枕邊の聲
 癡雲(ちうん)假使(かり)に山月を蔽(おお)うも 
 淸濁慣れ聞きて雨晴を卜す

34 猿澤月 
     月照寒波見本眞 空中不著一分塵
     難掬淸光池底玉 碎為数丈躍龍鱗
猿澤月 二
 月 寒波を照らし本眞見(あら)わす 
 空中 一分の塵を著(つ)けず
 掬い難し 淸光 池底の玉 碎(くだ)けて数丈となり
 龍鱗を躍らす

35 轟橋行人 
     左寺鐘聲度暮山 凄風吹盡雨潸々
     可憐行客笠簑重 橋上相呼率馬還
轟橋行人(とどろきばしのこうじん) 三
 左寺の鐘聲 暮山を度(わた)り 
 凄風(せいふう)吹き盡して雨潸々(さんさん)たり
 憐む可(べ)し 行客の笠簑(りゅうそう)重きを 
 橋上相呼びて 馬を率(ひき)いて還る

36 春日野鹿 四
     樹下呦々日作群 能馴行客嗅紅裙
     要知奇獸適神意 不食葷唯食野芹
春日野鹿(かすがののしか) 四
 樹下に?々(ゆうゆう) 日(ふび)群を作す 
 能く行客に馴れて紅裙(こうくん)を嗅(か)ぐ
 知るを要す 奇獸 神意に適(かな)い 
 葷(くん)を食せず 唯(ただ) 食野芹(やきん)を食う

37 雲井坂雨 五
     忽來雲井坂頭雨 雨脚沛然日亦燻
     旅客待晴待樹下 如何禁得度山雲
雲井坂雨(くもいざかのあめ) 五
 忽(たちまち)に來るは雲井坂頭の雨 
 雨脚沛然(はいぜん)として日も亦(ま)た燻(く)る
 旅客 晴るるを待つ松樹の下 
 如何(いかん)ぞ禁じ得ん山雲の度るを
                              
38 三笠山雪 六
     暁望三峰雪色奇 玲瓏積玉作容姿
     寒空臘月北風日 却似春光花發時
三笠山雪(みかさやまのつき) 六
 暁に三峰を望めば 雪色奇なり 
 玲瓏(れいろう)たる積玉 容姿を作す
 寒空臘月北風の日 
 却って似たり春光花發するの時に


39 南圓堂藤 七
     紫藤花發古堂春 麋鹿馴來朝暮親
     應知相國中誠至 卜得藤家功德新
南圓堂藤(なんえんどうのふじ) 七
 紫藤 花發す 古堂の春 
 麋鹿(びろく)馴れ來りて 朝暮に親しむ
 應(まさ)に知るべし 相國の中誠の至れるを 
 卜(ぼく)し得たり 藤家の功德新(あらた)なるを

40 棹川蛍   
     飛螢點々四無聲 影照清流滅又明
     昔時貧士案頭物 今日計來八景成
棹川蛍(さほがわのほたる)   八
 飛螢 點々として 四(よも)に聲無く 
 影は清流を照らし 滅し又明(あか)し
 昔時貧士案頭の物 
 今日計(かぞ)え來れば八景成る

41 洞楓
     洞口水寒紅樹稠 聞身衣錦似無憂
     去年遊客今班白 不識楓林歴幾秋
洞楓(どうふう)
 洞口水寒く 紅樹稠(しげ)し 
 聞く 身は錦を衣(き)て 憂 無きに似たると
 去年の遊客 今 班白(はんぱく) 
 識らず 楓林幾秋を歴(へ)しかを

42 八重櫻
     名高千載古櫻花 一種芳粧春色奢
     世人不識孰眞種 老幹僅存衲子家
八重櫻(やえざくら)
 名は千載に高し 古櫻の花 
 一種の芳粧 春色奢(しゃ)なり
 世人は識らず 孰(いず)れか眞種なるを 
 老幹 僅(わずか)に存す 衲子(のうし)の家

43 東金堂松
     龍松一樹昔誰栽 千載陵霜遠俗埃
     蓊鬱縦横古堂下 四時不改供如來
東金堂松(とうこんどうのまつ)
 龍松一樹 昔誰(だれ)か栽(う)えたる 
 千載霜を陵(しの)いで俗埃(ぞくあい)を遠ざく
 蓊鬱(おううつ)として 縦横たり 古堂の下 
 四時(しいじ)改めずして如來に供(きょう)す

44 楊貴妃櫻
     楊貴妃櫻朶々花 春容恰似向人誇
     身在山階清浄境 不知香夢落誰家
楊貴妃櫻(ようきひざくら)
 楊貴妃の櫻 朶々(だだ)の花 
 春容は恰も似たり 人に向かって誇るに
 身は在山階清浄の境に供って 
 知らず 香夢の誰が家にか落つるを

45 瀧坂楓
     吟只爲貪幽境 小徑躋攀伴採薪
     一片秋光難記得 紅楓爛漫幾佳人
瀧坂楓(たきさかのかえで)
 吟
(ぎんきょう) 
 只(た)だ幽境を貪(むさぼ)るを為す 
 小徑を躋攀(せいはん)せるは
 採薪(さいしん)を伴とす
 一片の秋光 記し得難く 
 紅楓 爛漫として佳人に幾(ちか)し

46 荒池楓
     荒池之上幾株楓 織作濃紅與淡紅
     秋色殊悲麋鹿喚 錦茵踏破陽中
荒池楓(あらいけのかえで)
 荒池之上(ほとり) 幾株(いくしゅ)の楓 
 織り作す 濃紅と淡紅と
 秋色 殊(こと)に悲し 麋鹿の喚(さけ)べば
 錦茵(きんいん) 踏破す 夕陽の中

47 手向山
     詩嚢挂在弧上 吟歩翫秋寥落中
     一瓢傾盡天昏黑 閑對丹楓弔菅公
手向山(たむけやま)
 詩嚢(しのう)挂(か)かりて弧?(こよう)の上に在り 
 吟歩し秋を翫(め)ず 寥落(りょうらく)の中
 一瓢(ぴょう) 傾け盡(つく)せば 天 昏黑たり 
 閑(しず)かに丹楓に對し 菅公を弔(とぶら)う

48 十三鐘
     入夢山階寺裏鐘 半醒半睡計來慵
     心頭得八指頭四 最後一聲被雨對
十三鐘(じゅうさんしょう)
 夢に入る山階(やましな)寺裏(じり)の鐘 
 半醒(せい)半睡(すい)計(はか)り來りて
 慵(ものう)し
 心頭八を得るも指頭は四なり 
 最後の一聲雨に對ぜらる

49 断角
     城中毎歳秋分日 深閉里門麋鹿囚
     須臾斷盡幾多角 購得或爲簾上鉤
断角(だんかく)
 城中 毎歳秋分の日 
 深く閉里門を閉(とざ)し
 麋鹿(びろく)囚(とら)わる
 須臾(しゅり)にして斷(た)ち盡(つく)す 
 幾多の角(つの) 購(あがな)い得て 
 或は簾上(れんじょう)の鉤(こう) と為す

50 寶藏院槍術
     四面縦横十字槍 潜龍深蟄海鴎翔
     順逆陰陽退還進 鉾鋩所向勢難當
寶藏院槍術(ほうぞういんのそうじゅつ)
 四面に縦横たり 十字の槍 
 潜龍のごとく深く蟄(かくれ) 
 海鴎のごとく翔(かけ)る 
 順逆陰陽 退き還(また)進む 
 鉾鋩(ほうぼう) 向う所 勢 當り難し

51 心經會
     数巻心經功德隆 亭々神木四圍中
     遠近來看人雑集 紙幢倒處卜年豊
心經會(しんぎょうえ)
 数巻の心經 功德隆(たか)く 
 亭々たる神木 四圍(しい)の中(うち)
 遠近より來り看て 人雑(まじ)り集まる 
 紙幢(しどう) 倒るる處 年豊を卜す


52 薪能
     猿樂知應祓禊遺 春風二月雨収時
     年々南大門前地 夜々然薪万古規
薪能(たきぎのう)
 猿樂は知る 
 應(まさ)に祓禊(ふっけい)の遺(い)なるべし
 春風二月 雨収まるの時
 年々南大門前の地 
 夜々(よよ) 薪を然(もや)すは万古の規

53 古帝陵
     蓬莱山上紫烟深 幽寂會無一鳥侵
     威靈所發山鳴動 宛似微雷十里音
古帝陵(こていりょう)
 蓬莱(ほうらい)山上 紫烟深く 
 幽寂(せき)會(かつ)て 一鳥の侵す無し
 威靈發する所 山鳴動し 
 宛(あたか)も似たり 微雷 十里の音に

54 若艸山蕨
     若艸山頭紫蕨多 帶烟承露吐春和
     年々士女漫携去 昭代不聞弧竹歌
若艸山蕨(わかくさやまのわらび)
 若艸山頭(じゃくそうさんとう) 紫蕨(しけつ)多し 
 烟を帶び 露を承け 春和を吐く
 年々士女 漫(そぞろ)に携え去り 
 昭代聞かず 弧竹の歌

55 鶯瀑
     飛泉迸下幾千尋 日夜涓々似奏琴
     堪驚俯仰春遅速 氷在幽渓花在岑
鶯瀑(おうばく)
 飛泉迸下(へいか)す 幾千尋 
 日夜 涓々(けんけん)として奏琴に似たり
 驚くに堪えたり 俯仰すれば春の遅速なるに 
 氷は幽渓に在り 花は岑に在り

56 幸徳井
     暦道由來非小枝 四時百物得相宜
     先人卜地野田里 赫々家名世上知
幸徳井(こうとくい)
 暦道(れきどう) 由來小枝に非ず 
 四時(しいじ) 百物 相(あ)い宜(よろ)しきを得
 先人 地を卜す 野田の里 
 赫々(かくかく)たる家名 世上に知らる

57 三綱
     憶昔豪風山外振 不知經歴幾多春
     流落僅存三四戸 渾為南北両門臣
三綱(さんごう)
 憶(おも)う 昔 豪風 山外に振(ふる)い 
 知らず 幾多の春を經歴せしやを
 流落して僅(わず)かに存す 三四戸 
 渾(すべ)て 南北両門臣となる

58 社家 
    神護景雲年間 
    神従鹿島來中臣時風秀行扈従之云

     曾聞神護景雲日 百里扈従弟與兄
     今看中臣兄弟末 綿々相受久滋榮
社家(しゃけ) 
 神護景雲年間 
 神 鹿島従り來り 
 中臣時風・秀行之に扈従すると云う
     
 曾(かつ)て聞く 神護景雲(じんごけいうん)の日 
 百里扈従(こじゅう)す 弟と兄と
 今に看る 中臣兄弟の末 
 綿々と相受けて久しく滋榮す

59 衆徒 慶長年間 東照宮賜腰刀二十家
     二十恩刀二十家 世官世祿世亨嘉
     二月薪蒹少宮祭 従來執法使無差
衆徒(しゅうと) 
 慶長年間 東照宮 腰刀を二十家に賜う

 二十の恩刀 二十の家 
 世々(よよ)官し 世々(よよ)祿し 
 嘉(よしみ)を亨(う)く
 二月薪蒹(しんけん) 少宮祭 
 従來 法を執りて無差執無から使む

60 樂人
     樂伶元是異邦人 歸化日東寵命新
     莫謂世間素食者 五音和得四方民
樂人(がくじん)
 樂伶(がくれい)は元(もと)是(これ)異邦人 
 日東に歸化して寵命新たなり
 謂う莫(なか)れ 世間に素食(そさん)せる者と 
 五音もて和し得たり 四方の民

61 長谷川
     祖業繼來幾百春 今猶不廢祭儀新
     戎衣騎馬堂々去 不似太平天下人
長谷川(はせがわ)
 祖業繼(つ)ぎ來たる幾百の春 
 今猶(な)お廢せず 祭儀新(あらた)なり
 戎衣 馬に騎りて堂々と去り 
 太平天下の人に似ず

62 上司
     盛服嚴然錦繍袍 不辭一社一人勞
     誠心自是適神意 数世綿々爵位高
上司(かみつかさ)
 盛服嚴然たり 錦繍の袍(ほう) 
 辭さず一社一人の勞
 誠心自(おのず)から是(こ)れ神意適(かな)う 
 数世綿々として爵位高し

63 唯摩會
     七夜成群七寺僧 千年挑得佛前燈
     會中天下空漁獵 當識唯摩經德弘
唯摩會(ゆいまえ)
 七夜 群を成す 七寺の僧 
 千年 挑(かかげ)得たり 佛前の燈
 會中 天下 漁獵を空しくす 
 當(まさ)に識るべし 唯摩經の德の弘(ひろ)きを

64 懸衣柳
     千絲春緑池塘柳 繋月籠煙蜜又疎
     天然美女有情態 夜々風前誰為梳
懸衣(けんい)の柳
 千絲 春に緑なり 池塘の柳 
 繋月(けいげつ)籠煙(ろうえん)蜜又(ま)た疎(そ)
 天然の美女 情有るの態 
 夜々風前 誰が為に梳(くしけづ)る

65 瑞景寺眺望
     従來此地梵僧栖 十里平田望欲迷
     図識晩晴朝靄好 笠峯駒嶺峙東西
瑞景寺(ずいけいじ)の眺望
 従來 此の地 梵僧栖む 
 十里平田 望みて迷わんと欲す
 図(はか)り識る 晩晴と朝靄(あい)の好からん
 笠峯 駒嶺 東西に峙(そばだ)つ

66 眉間寺眺望
     寺在閑雲寂寞中 世塵相隔萬緑空
     欄前最愛絶風景 寧樂諸山一望通
眉間寺の眺望
 寺は在り 閑雲寂寞の中 
 世塵相い隔たり 萬緑空(むな)し
 欄前 最も愛す絶風景 
 寧樂の諸山 一望に通ず

67 南大門眺望
     山階壇上地方平 佇立春風二月晴
     天南指點鳥飛處 十里遥峯高取城
南大門の眺望
 山階壇上 地 方平にして 
 春風に佇立(ちょりつ)すれば 二月晴なり
 天南 指點す 鳥飛ぶ處 十里遥峯は高取城

68 若草山眺望
     遠望金峯近木川 下看寧樂萬家連
     幽人別有苦吟處 幾點歸鴉閃暮天
若草山の眺望
 金峯を遠望し 木川近し 
 下(しも) 寧樂(ねいらく)萬家の連なるを看る
 幽人別に苦吟する處あり 
 幾點の歸鴉(きあ) 暮天に閃(せん)す

69 猿澤
     猿池春漲緑漫々 幾隊遊魚日自間
     多少旅人投果餠 紅浮白舞水光班
猿澤
 猿池(えんち) 春に漲(みな)ぎり 緑漫々たり
 幾隊の遊魚 日(ひび)自(おのずか)ら間なり
 多少の旅人 果餠(かかん)を投じ 
 紅きは浮き 白きは舞う 水光の斑

70 笠峯月
     晩風吹起片雲無 愛見笠峯夜色殊
     碧杉疎處一輪上 恰似蟠龍吐寶珠
笠峯(りゅうほう)の月
 晩風 吹き起り 片雲無く 
 愛(いつくし)み見る 笠峯 夜色の殊なるを
 碧杉 疎なる處 一輪 上り 
 恰(あたか)も 似たり 蟠龍の寶珠を吐くに


71  春
     黄昏素月挂山隅 翠色清光影相扶
     淡煙数沫白如水 自是娥眉一幅圖
同 春
 黄昏(こうこん)素月(そげつ) 山隅に挂(かか)り
 翠色 清光 影相扶(あいたすく)
 淡煙 数沫(まつ)白きこと水の如(ごと)く 
 自(おのずか)ら是れ娥眉(がび一幅の圖なり

72  夏
     暮天雲起奔雷響 晴見笠峰月色磨
     忘却人間三伏熱 清光照處夜凉多
同 夏
 暮天雲起り 奔雷(hおんらい)響く 
 晴れて見る 笠峰(りゅうほう)の月色磨けるを
 忘却す 人間(じんかん)三伏(さんぷく)の熱 
 清光照す處 夜凉(やりょう)多し

73  秋
     仰看三笠初更月 玉鏡磨來掛翠微
     露氣横空秋萬里 一聲何處宿鴉飛
同 秋
 仰いで看る三笠初更(しょこう)の月 
 玉鏡 磨き來り 翠微(すいび)に掛る
 露氣 空に横たわり 秋 萬里 
 一聲 何(いず)れの處にか宿鴉(しゅくあ)飛ぶ

74  冬
     笠峯々上月如盤 皎々亭々照雪巒
     須臾雲起埋光去 寧樂街中萬戸寒
同 冬
 笠峯 峯上 月 盤の如く 
 皎々(こうこう)亭々(ていてい)として 
 雪巒(せつらん)を照らす
 須臾(しゅゆ)にして雲起り 光を埋めて去り
 寧樂(ねいらく) 街中 萬戸寒し

75 笠峰雨
     翠峰漠々起煙雲 山北山南望不分
     東風吹起連朝雨 数寸肥來水谷芹
笠峰(りゅうほう)の雨
 翠峰(すいほう)漠々(ばくばく)として 煙雲起り
 山北 山南 望めども 分ならず
 東風 吹き起る 連朝の雨 
 数寸 肥え來る 水谷(みや)の芹(せり)

76 同虹霓
     雨餘忽現一條虹 五色連綿作麗容
     日斜好景畫難就 数丈彩橋横碧峰
同 虹霓(どう こうげい)
 雨餘 忽(たちま)ち現る 一條の虹
 五色 連綿として 麗容を作(な)す
 日 斜(ななめ)にして 
 好景 畫(えが)くも 就(な)し難(がた)く 
 数丈の彩橋(さいきょう) 碧峰に横たう

77 同霞
     燦々謄光数抹霞 暁天染出翆峰花
     虹錦須臾風吹去 散為點々幾多鴉
同 霞(どう か)
 燦々(さんさん)たる謄光(とうこう) 
 数抹(すうまつ)の霞(か) 
 暁天 染め出だす 翆峰の花
 虹錦 須臾(しゅゆ)にして 風 吹き去り
 散じて 點々たり 幾多の鴉

78 同朝暾
     東方初白動晨光 山半須臾作暁粧
     松杉閃々看難認 数點飛鴉亂旭陽
同 朝暾(どう ちょうとん)
 東方初めて白(しら)み 
 晨光(しんこう)を動かす 
 山半(さんぱん) 須臾(しゅゆ)にして 
 暁粧(ぎょうしょう)を作す
 松杉(しょうさん) 閃々(せんせん)として 
 看るも認め難し 
 数點の飛鴉(ひあ) 旭陽(きょくよう)に亂る

79 同暮色
     旅店懸燈月未生 疎星淡々暮天晴
     遠近諸山入煙霧 笠峰翆色獨分明
同 暮色(どう ぼしょく)
 旅店 燈を懸(つる)し 月未(いま)だ生ぜず
 疎星 淡々として 暮天晴る
 遠近の諸山 煙霧に入り 
 笠峰の翆色 獨り分明なり

80 同獮猴
     老杉森列鬱平城 無暮無朝黯色横
     旅人常苦夢難就 多少獮猴叫月明
同 獮猴(どう びこう)
 老杉(ろうさん) 森列(しんれつ)して
 平城に鬱(う)たり 暮と無く 朝と無く
 黯(あん)色横わる
 旅人常に苦しむ 夢の就き難きを 
 多少の獮猴 月明に叫(さけ)ぶ

81 垂井月
     旅亭燈暗四無聲 夜色凄然欲二更
     水上籠煙垂井月 時聞野鹿隔林鳴
垂井(たるい)の月
 旅亭の燈(ともしび)暗くして四(よも)に聲なし
 夜色 凄然(せいぜん)として 
 二更(にこう)ならんと欲す
 水上に煙を籠たり 垂井の月 
 時に聞く 野鹿の林を隔(へだ)てて鳴くを


82 興福寺兩磬 
    四濱浮磬為黄鐘 華原磬為双鐘

     泗濱浮磬華原磬 六律五音由此生
     其孰黄鐘就双調 法王今日聽分明
興福寺の兩磬(りょうけい) 
  四濱浮磬(しひんふけい)は
  黄鐘(こうしょう)を為し 
  華原磬(かげんけい)は
  双鐘(そうしょう)を為す
     
 泗濱の浮磬と華原の磬 
 六律五音(りくりつごいん) 此れより生ず
 其れ孰(いず)れか 黄鐘 
 双調を就(な)すや 
 法王 今日聽けば 分明なり

83 菅公廟
     青松翆竹小村中 祠在喜光寺裡東
     神靈最著旱天日 祈雨油然雲滿空
菅公廟(かんこうびょう)
 青松翆竹 小村の中
 祠は在り 喜光寺(きこうじ)裏の東に
 神靈 最も著(あらわ)る 旱天(かんてん)の日 
 雨を祈れば 油(ゆう)然として 雲空に滿つ


84 春日野虫
     西風吹盡舊都秋 滿地萋々野草稠
     鳴蟲咽露月明裡 一夜凄凉引客愁
春日野(かすがの)の虫
 西風 吹き盡す 旧都の秋
 滿地 萋々(せいせい)として 野草 稠(しげ)し
 鳴蟲 露に咽(むせ)ぶ 月明(げつめい)の裡(うち) 
 一夜 凄凉(せいりょう) 客愁を引く


85 二月堂修二会 
    俗曰御炬火二月朔至十四日 行立韃靼法云

     欄前炬火幾多連 看怪忽焉佛閣然
     毎歳修來韃靼法 慈悲結得衆生縁
二月堂修二会 (にがつどうしゅにえ)
 俗に御炬火(ぎょきょか)と日う。
 二月朔より十四日に至り、韃靼(だったん)法を行うと云う。

 欄前(らんぜん) 炬火(きょか) 幾多連なり
 看るみる 怪む 忽焉(こつえん)として佛閣の然(もゆ)るかと
 毎歳 修め來る 韃靼の法 
 慈悲もて結び得たり 衆生(しゅじょう)の縁(えん)


86 垂井旅舎
     旅舎相連八九軒 晩來無戸不塵喧
     一床同伏四方客 歸思分飛幾夢魂
垂井(たるい)の旅舎(りょしゃ)
 旅舎相い連(つらなること)八九軒 
 晩來(ばんらい) 戸として塵喧(じんけん)ならざるなし
 一牀(しょう)に同臥(どうか)す 四方の客
 歸思 分れ飛ばす 幾夢魂(いくむこん)

87 鍋鋳
     鋳鍋鋳釜黒門邊 鋳釜鋳鍋即鋳錢
     城中見慣常無怪 火氣照雲又照天
鍋鋳(かちゅう)
 鍋(か)を鋳し 釜(ふ)を鋳す 黒門の邊(あたり) 釜(ふ)を鋳し 鍋
 鋳するは即ち錢を鋳するなり
 城中見慣れて常(かつ)て怪無し 
 火氣 雲を照らし 又天を照らす


88 正倉院 一曰三倉藏欄麝待紅塵香
     蠻寶珍器滿正倉 倉戸勅封曾秘藏
     二種名香天下識 東來在此幾星霜
正倉院 一に三倉と日う。
 欄麝待(らんじゃたい)紅塵香(こうじんこう)を藏せり。

 蠻寶珍器(ばんぽうちんき) 正倉に滿ち
 倉戸(そうこ) 勅封(ちょくふう)して曾(かつ)て秘藏す
 二種の名香 天下に識らる 
 東來して此(ここ)に在ること 幾星霜


89 八幡池
     鏡様神池禁釣漁 梵王宮映影煇如
     中央有島人難到 立数波頭繍尾魚
八幡池(はちまんいけ)
 鏡様(きょうよう)の神池 釣漁(ちんぎょ)を禁ず
 梵王(ぼんおう)の宮(きゅう) 映(うつ)りて 影 煇如(きじょ)たり
 中央 島有るも 人到り難し 
 数波頭を立つるは 繍尾(しゅうび)の魚


90 景淸門
     古門千載有英名 里俗今猶呼景淸
     双扉不鎖還無守 檐角喧々暮雀鳴
景淸門(かげきよもん)
 古門 千載(せんざい)英名有り 
 里俗 今猶(な)お景淸と呼ぶ
 双扉鎖(と)ざさず 還(ま)た 守無し 
 檐角(えんかく) 喧々(けんけん)として 暮雀(ぼじゃく)鳴く


91 釆女祠 
    在猿澤上往昔釆女投身猿澤之日 
    懸衣柳樹今懸衣柳是也

     一片貞心投棄身 芳魂千載作靈神
     行人悵望懸衣柳 水上依然媚幾春
釆女(うねめ)の祠(し) 
 猿澤の上(ほとり)に在り。往昔釆女身を猿澤に投ずるの日
 衣を柳樹に懸く。今の懸衣の柳是れ也

 一片の貞心 身を投棄し 
 芳魂(ほうこん)千載 靈神と作(な)る
 行人(こうじん) 悵望(ちょうぼう)す 懸衣の柳
 水上 依然として媚(こ)ぶること幾春ぞ


92 池邊酒亭
     池邊樓上日繁華 有酒有肴風味嘉
     遊人多少茲來飲 不覺酒量分外加
池邊(ちへん)の酒亭(しゅてい)
 池邊の樓上 日に繁華
 酒有り 肴(こう)有り 風味嘉なり
 遊人 多少 茲(ここ)に來りて飲み 
 覺えず酒量 分外(ぶんがい)に加うるを


93 氷室祠
     蜜樹森々掩緑扉 廟前晝暗客來稀
     百尋氷室今猶在 毎歳暮秋此享祈
氷室(ひむろ)の祠(し)
 蜜樹 森々(しんしん)として緑扉(りょくひ)を掩(おお)う 
 廟前(びょうぜん) 晝暗く 客の來ること稀(まれ)なり
 百尋(ひゃくじん)の氷室(ひょうしつ) 今猶お在り 
 毎歳 暮秋 此(ここ)に享(きょう)して祈(いの)る

94 多門山
     昔時久秀此震威 奸計暴行作百非
     多門山上今何見 唯有老松帯落暉
多門山(たもんざん)
 昔時(せきじ) 久秀(ひさひで) 此(ここ)に威を震う
 奸計(かんけい) 暴行 百非(ひゃくひ)を作(な)す
 多門山上 今何をか見る 
 唯(た)だ老松の落暉(らっき)を帯ぶる有(あ)り


95 誕生寺 在三棟街中将姫誕生處云
     法尼解脱謝塵縁 千載孝成身亦全
     今看豊成断碑在 誕生寺裡美名傳
誕生寺(たんじょうじ) 
 三棟(みつむね)街に在り、中将姫(ちゅうじょうひめ)誕生する處と云う

 法尼(ほうに) 解脱(げざつ)し 塵縁(じんえん)を謝す
 千載孝成(こうな)り 身も亦た全(まった)し
 今に看る 豊成(とよなり)の断碑在るを 
 誕生寺裡 美名傳わる


96 隔夜僧
     隔夜往来隔夜僧 或休初瀬或平城
     忘却人間貧富事 緇衣荷笠一身輕
隔夜僧(かくやそう)
 夜(よ)を隔(へだ)てて往来する 隔夜僧
 或は初瀬に休み 或は平城にあり
 忘却す 人間(じんかん) 貧富の事
 緇衣荷笠(しいかりゅう)一身輕(かろ)し


97 武蔵亭
     西風早到武藏亭 墨客詩人携手行
     後庭蟲與前峰鹿 夜々悲秋鳴月明
武蔵亭(むさしてい)
 西風早く到る 武藏亭
 墨客(ぼっかく)詩人 手を携(たずさえ)て行き
 後庭の蟲と 前峰の鹿と 
 夜々(よよ)秋を悲しみ 月明に鳴く


98 蝙蝠窟 在春日山中
     老杉如蓋鎖巖戸 外隘中宏晝亦冥
     蝙蝠成群驚客到 幽渓百尺水冷々
(こうもり)の窟(いわや) 
 春日山中に在り

 老杉(ろうさん) 蓋(ふた)の如く 巖戸(がんけい)を鎖(とざ)し 
 外は隘(せま)く 中宏(ひろ)くして 晝亦(ま)た冥(くら)し
 蝙蝠(こうもり) 群を成して 客の到るに驚く 
 幽渓百尺(ひゃくしゃく) 水冷々たり

99 水谷
     流水響寒水谷川 松杉鬱々籠嵐煙
     薄暮休來買茶店 老猿驚走古橋邊
水谷(みずや)
 流水 響きて寒し 水谷川(みずやがわ) 
 松杉(しょうさん) 鬱々(うつうつ)として 嵐煙(らんえん)を籠(こ)む
 薄暮(はくぼ) 休み來りて 茶店に買う 
 老猿(ろうえん) 驚き走る 古橋の邊


100 花井
     東金堂後井泉清 澄澈玲瓏随汲生
     豈獨煎茶爐上用 一杯能解数朝醒

花井(かせい)
 東金堂後 井泉 清し 
 澄澈玲瓏(ちょうてつれいろう) 汲(く)むに随って生ず
 豈(あ)に獨り 煎茶(せんちゃ)の爐上(ろじょう)に用いんや 
 一杯 能く解く数朝の醒(せい)


寧楽百首跋


一日予清、沈筠の乍浦集詠を得、これを読むに層々として英夷の入冦を模写す。戦場の景色備に悲惨を極む。恨血朽骨紙上に散漫せり。穢(わい)気々陣として来りて鼻端に入る。之が為に大息し英夷の驕気擅行残暴なるを嫉み満清の痿蹶縮頸して股栗するを愍(あわ)れむ。偶澹(たまたま)斎著す所の寧楽百首を袖にして来りて余に示す。余反覆披玩するに旨趣尽きること無し。事は実に辞は麗に、読者をして々(びび)として倦むまざらしむ。穢(わい)気悲鬱なるも忽然として霧銷す。また猶お荒墳古墓を出でて花圃月楼に遊ぶがごと然るなり。此の集、起手は五六年前に在れば則ち沈筠の乍浦集詠を編するの歳と甚しくは相い遠からず。而して彼は字々時を哀み、此は句々世を楽しむ。治乱趣を異にし、哀楽情を同じくせず。僅々一百首、読者をして太平人民為るを楽しましむれば則ち其の関係する所豈に偉ならざらんか。因りて数語を尾に綴ると云う。

   嘉永第四辛亥(1851)七月 
 
                明教館教授 佐々木絢 撰す。



   
2008/02/09
2003/02/15