宝蔵院流槍術四代 胤風揮毫
宝蔵院山門「棟木受けの実肘木」発見

宝蔵院流槍術四代 胤風揮毫
宝蔵院山門 「棟木受けの実肘木」

 300年ぶりに宝蔵院流槍術四代 胤風(1686〜1731)が揮毫した宝蔵院山門(※1)の「棟木受け(むなぎうけ)(※2)の実肘木(さねひじき)(※3)」が発見されました。

 この実肘木には墨痕鮮やかに「享保元(1716)年丙申年九月廿八日新造立之 鎌宝蔵院鎌術 四代 覚山胤風(花押)」と揮毫されています。

 この「実肘木(さねひじき)」によって宝蔵院山門は、享保元(1716)年年9月28日に、四代胤風が31歳で建立したことが分かりました。

 私ども宝蔵院流槍術伝習者は胤風師直筆の実肘木発見を喜ぶとともに、先師を慕い、宗家一箭順三ほか槍術伝習者により、下記の通り見学会を実施しました。

 また、胤風師は加茂兎並村の郷士満田(みつだ)権右衛門胤成の嫡男であったことから、満田家当主・満田敬傳氏(木津川市加茂町兎並)も見学会にご参加くださいました。

日時  平成28(2016)年1月23日(土)14:30〜
場所  西光寺
     鳥見浩憲 住職  
     631-0054奈良市石木町405
実肘木発見を喜ぶ、(左から)
 満田家当主・満田啓傳 氏
 西光寺長老・鳥見隆憲 氏
 宝蔵院流槍術宗家・一箭順三
実肘木を囲んで、宝蔵院流槍術伝習者

「鎌宝蔵院第四世胤風師の像」満田家蔵
第四世胤風
 宝蔵院流槍術第四世胤風は春日社式年造替にあたり、興福寺・春日社を代表して幕府の助成や諸国勧化の許可を得るため一山の惣代として関東に下向するなど、興福寺・春日社の信望を集める学僧でした。

 さらに、享保11(1726)年9月24日将軍吉宗に槍術上覧の栄を賜り、宝蔵院流槍術の名を一層に高めたのです。

 しかし、勧進中の享保16(1731)年12月6日惜しくも江戸の客舎において逝去(46歳)しました。
 
 後に、奈良奉行であった川路聖謨は、嘉永2(1849)年10月22日、この胤風師建立の山門を通って宝蔵院を訪問したことが彼の日記「寧府紀事」によって確認できます。

現:西光寺山門
※1.宝蔵院山門
 山門は興福寺の子院 宝蔵院に建立されていましたが、明治初年の廃仏毀釈の際、西光寺(※4)の山門として移築されたものです。
 西光寺に移築された宝蔵院山門は、惜しくも50数年前改築されましたが、その「棟木受けの実肘木」は西光寺様によって大切に保存されていました。
※4.西光寺
 西光寺は1507年(永正4年)開山の浄土真宗本願寺派の寺院。

現:西光寺山門 棟木と実肘木
※2.棟木受け
 棟木とは、屋根の骨組みの頂部に用いられる水平材。

※3. 実肘木
 実肘木とは、棟木等に直接接してこれを受ける斗(ときょう:上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材)全体の最高部にある肘木。


月刊「武道」(日本武道館:平成28(2016).4月号)
宝蔵院流槍術 四世胤風揮毫山門部材発見



報道
 2016. 2. 2     奈良新聞

2016. 2. 2
2016. 1.23