ほうぞういん かくざんぼう いんぷう 宝蔵院 覚山房 胤風 |
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「鎌宝蔵院第四世胤風師の像」満田家蔵 |
胤風は山城国加茂郡兎並村の郷士満田(みつだ)権右衛門胤成の嫡男。縁者である中御門胤武の養子となり、元禄10年(1697)12月、12歳のとき法師入り。胤清法印の没後、正徳元年(1711)26歳のとき大法師。正徳元5年4月、東照宮百年忌の際、金堂前の千部会で梵音役を勤めた。享保3年(1718)6月、33歳のとき擬得業に任じられ、享保8年5月、招提寺の同音論、竜王前の因明論に散華師を勤め、同年12月擬講にすすみ、翌9年(1724)5月の同じ因明論に唄師、同16日高山の信読大般若の導師、同18日の西大寺本堂における同じく信読大般若の導師を勤めた。 胤風は幼少より槍術を好み養父 胤武について鎌術の法を学びその奥旨を究め、先師胤清の伝統を嗣ぎ学呂としても頭角を現し各法要の導師を勤め、また興福寺伽藍再興や春日社御造替の費用を捻出するため、興福寺・春日社を代表して幕府の助成や諸国勧化の許可を得るため一山の惣代として関東に下向するなど、興福寺・春日社の信望を集める学僧であった。 さらに、享保11(1726)年9月24日将軍吉宗に槍術上覧の栄を賜り、宝蔵院流槍術の名を一層に高めた。 しかし、勧進中の享保16(1731)年12月6日惜しくも江戸の客舎において逝去(46歳)した。 |
宝蔵院流槍術四代 胤風揮毫 宝蔵院山門 「棟木受けの実肘木」 |
300年ぶりに宝蔵院流槍術四代 胤風(1686〜1731)が揮毫した宝蔵院山門(※1)の「棟木受け(むなぎうけ)(※2)の実肘木(さねひじき)(※3)」が発見されました。 この実肘木には墨痕鮮やかに「享保元(1716)年丙申年九月廿八日新造立之 鎌宝蔵院鎌術 四代 覚山胤風(花押)」と揮毫されています。 この「棟木受け(むなぎうけ)の実肘木(さねひじき)」によって宝蔵院山門は、享保元(1716)年年9月28日に、四代胤風が31歳で建立したことが分かりました。 後に、奈良奉行であった川路聖謨は、嘉永2(1849)年10月22日、この胤風師建立の山門を通って宝蔵院を訪問したことが彼の日記「寧府紀事」によって確認できます。 胤風師揮毫の「棟木受け実肘木」発見を記念して、下記の通り伝習者による見学会を実施しました。 日時 平成28(2016)年1月23日(土)14:30〜 場所 西光寺 鳥見浩憲 住職 631-0054奈良市石木町405 |