宝蔵院流槍術
四世胤風揮毫山門部材発見


月刊「武道」 平成28(2016)年 4月号
宝蔵院流高田派槍術 第二十一世宗家 一箭順三

左から 
 満田家当主・満田啓傳 氏
 西光寺長老・鳥見隆憲 氏
 筆者
 宝蔵院流槍術四世胤風(いんぷう)(1686〜1731)揮毫の宝蔵院山門部材が西光寺(さいこうじ)(奈良市石木町・鳥見浩憲住職)で発見されました。
 宝蔵院流槍術はこの慶事を喜ぶとともに、先師を慕い宗家以下20名の伝習者が1月23日、西光寺において見学会を実施しました。また胤風師は、郷士満田(みつだ)権右衛門胤成の嫡男であったことから、満田家当主・満田敬傳(たかのぶ)氏もご参加くださいました。
 宝蔵院は、現在の奈良国立博物館敷地に位置し、その山門は明治初年の廃仏毀釈により西光寺に移築されました。惜しくも50数年前、老朽化により建て替えられたものの、当初の山門の棟木(むなぎ)を受ける部材「実肘木(さねひじき)」が須弥壇(しゅみだん)の奥から発見されたのです。
 この実肘木には墨痕鮮やかに「享保元年丙申年九月廿八日新造立之 鎌宝蔵院鎌術 四代 覚山胤風(花押)」と揮毫されていました。これによって宝蔵院山門は、享保元(1716)年9月28日に、四世胤風が31歳の折りに建立したことが分ったのです。実に建立300年の節目の年の発見となりました。
 胤風は幼少より槍術を好み、学呂としても頭角を現しました。また興福寺伽藍再興や春日社御造替の費用捻出に、幕府の助成や諸国勧化の許可を得るため興福寺・春日社の惣代として関東に下向するなど、一山の信望を集める学僧でありました。さらに、享保11(1726)年9月24日、将軍吉宗に槍術上覧の栄を賜り、宝蔵院流槍術の名を一層に高めた中興の祖です。
 私共は、憧れの胤風師揮毫の墨跡に巡り会い、歴史に支えられた宝蔵院流槍術の伝習者であることを誇りに思うともに、より一層の稽古精進を誓わせていただいた次第です。

「鎌宝蔵院第四世胤風師の像」満田家蔵

西光寺山門 棟木と実肘木

関係者集合写真

宝蔵院流槍術四代 胤風揮毫 宝蔵院山門「棟木受の実肘木」発見 H.28(2016)年1月23日
Facebook 宝蔵院流槍術 掲載


報道
2016. 2. 2   奈良新聞

2016. 4.21