宝蔵院流高田派槍術・祖 高田又兵衛
「槍の又兵衛」顕彰碑 建立除幕式
 高田又兵衛は、白樫(現・伊賀市白樫)出身で宝蔵院流槍術初代胤栄、二代胤舜の高弟。岡八幡宮(伊賀市白樫)の境内で修行に励み、近隣の若者達に槍術を教えていたことから、岡八幡宮は「槍の又兵衛修行の森」としても知られています。
 岡八幡宮は、源頼朝の命により建立された鎌倉・鶴岡八幡宮唯一の由緒ある末社です。
 この度、高田又兵衛生誕の地である伊賀市白樫地区有志によって「槍の又兵衛顕彰会」が設立され、地元の英傑・高田又兵衛師を顕彰し、敬慕の念を一層深めるとともにその偉業を後世に伝えるため、多くの支援有志の助力を得て縁の深い岡八幡宮の境内に「槍の又兵衛」顕彰碑を建立する運びとなりました。
 この日は、顕彰碑建立除幕式に引き続き、顕彰碑建立記念植樹、並びに宝蔵院流高田派槍術奉納演武会を挙行しました。

除幕式
日時       平成27(2015)年4月19日(日)11:00
設置       岡八幡宮 境内
          三重県伊賀市白樫
設置者      槍の又兵衛顕彰会

石 碑
石碑本体    黒御影石 1500×1300×180 o
碑文書揮毫  宝蔵院流高田派槍術
          第二十一世宗家 一箭順三
イラスト     槍の又兵衛顕彰会 代表 西田陽一

顕彰碑は、「槍の又兵衛顕彰会」役員と「宝蔵院流槍術」宗家・伝習者が左右に綱を引き、除幕されました。
式辞
槍の又兵衛 顕彰会 西田陽一 代表

  式辞

 高田又兵衛 顕彰碑の除幕式に当たり一言御挨拶を申し上げます。
 桜花咲き誇り春爛漫としたこの佳き日に、岡幡宮春の大祭と共に、「槍の又兵衛」顕彰碑の除幕式を挙行出来ますことは、誠に意義深く喜びに堪えない処でございます。

 又兵衛翁の顕彰碑建立は、私ども白樫地区にとりましては長年の夢であり、これまでにも様々な取り組みがされて参りました。以前には村の青年達が碑の石にすべく裏山から大きな岩を人力で取り出し、ようやくこの境内に持ち込みましたが、社会情勢が厳しくなりそのままとなってしまったと聞いて居ます。その石は今もこの境内に置かれて居ますが、先人の努力が偲ばれるばかりであります。

 こうした顕彰碑建立の願いは、その後も受け継がれて参りましたが、昨年春の奈良宝蔵院流槍術演武会によって、一気に高まって参りました。私はこの機会を逃してはならじとばかりに建立推進委員会を立ち上げ、協力を得ながら広く協賛をお碩いしました処、実に160名を超す多数の方々からご協力を得ることが出来ました。
 地区内の多数の方々を始め、殊に奈良宝蔵院流槍術保存会関係各位 並びに高田家親戚の皆様からの篤いご賛同を戴いて、遂に完成を見るに至ったのであります。

 高田又兵衛翁は優れた武術のみなならず、高潔な人格を兼ね備えた武将であったと伝えられています。碑の構成につきましては、この人物像を充分に考慮しながら、しかも誰もが親しめる姿でありたいと考え、委員会に於いて協議を重ねて参りました。正面の碑文には、高田派槍術を現代に受け継ぐ第二十一世宗家 一箭順三様に揮毫をお願いし、それに修行する又兵衛像をイラストとして配しました。また裏面には協賛戴いた方全員のご芳名を入れました。又兵衛略伝は別記して前面に設置することとしました。施工に当たって戴きました荻野石材店様には、碑の構成に係わるすぺての要点をご理解戴き、高い技術力によって完璧に創出して戴いたのであります。

 この顕彰碑の建立により高田又兵衛翁の名が、「槍の又兵衛」として広く知られ親しまれることを切望すると共に、地域創世の一助となればと願って止みません。
 最後になりましたが、全面的にご協力戴いた岡八幡宮様を初め、白樫自治会、白樫文化財保存会に深く感謝申しあげまして式辞と致します。

  平成27年4月19日
  槍の又兵衛 顕彰会 代表 西田陽一

祝辞
 宝蔵院流高田派槍術 第二十一世宗家 一箭順三
田又兵衛略伝
 田又兵衛吉次 天正18年(1590)父、喜右衛門吉春の長男としてここ白樫に生まれる。
 幼くして武技好み、自宅の砦や岡八幡宮の大木を相手に技を磨き、満十二歳にして宝蔵院流槍術の門に入り、槍法を学ぶとともに、新陰流剣術、穴澤流薙刀も合わせて修行し創意工夫、遂に宝蔵院流田派を創出する。
 慶安4年(1651)三代将軍家光に呼び出され十文字槍の奥義を披露、葵の御紋付きの時服三領を拝領「槍の又兵衛」として全国にその名を知られた。
 進退、屈伸、表裏、悠急、剛柔の十文字を説き、法形百一条、巴の術十五ヶ条を考案するなど、十文字槍の哲理を深めた。
 生来人格高潔にして、二天流の剣豪宮本武蔵や禅道の名僧隠元、即非や、法雲とも親交深く、晩年崇伯と号し主家小笠原(明石・小倉)の名を高め小倉の地で顕彰され名を残す。
 寛文11年(1671)没、小倉生往寺に眠る。
 子孫よくこれを受け継ぎ槍術の振興に尽くすとともに、郷土の為特に岡八幡宮、慈尊寺の整備に力する。


「槍の又兵衛」顕彰碑募金 趣意書


報道
2015. 4.19 伊賀タウン情報YOU
高田又兵衛の顕彰碑お披露目
伊賀・岡八幡宮の春大祭

伊賀タウン情報誌YOU(2015. 4.19)

【除幕された顕彰碑=伊賀市白樫】
 伊賀市白樫の岡八幡宮(大井貞夫宮司)で4月19日、春の大祭があり、地元で生まれ育った江戸初期の槍術の名手・高田又兵衛の顕彰碑の除幕や、宝蔵院流高田派の槍術演武、恒例の流鏑馬神事などが行われた。

 地元では昨年の春大祭後に「槍の又兵衛顕彰会」を設立し、住民ら160人以上から協賛を募って準備を進めてきた。碑は幅160センチ、高さ150センチの黒御影石で、宝蔵院流高田派槍術第二十一世宗家・一箭順三氏が揮毫(きごう)した「槍の又兵衛」の文字を中心に、修業に励む若き日の又兵衛の姿を半身の立体彫りで仕上げている。
 
 この日午前11時からの除幕式には、同顕彰会の西田陽一会長や白樫の長島義則区長ら約40人が出席。西田会長は「優れた武術の伝承者であり高潔な武将だった又兵衛を、誰もが親しめる形で顕彰したい思いがあった。その名が広く親しまれ、地域創生の一助となってほしい」とあいさつ。式典の後には、槍の素材に使われるハナガガシ(葉長樫)を境内に3本植樹した。

 午後1時からの神事の後、同2時からは一箭宗家ら同派の16人が「表」「裏」「新仕掛」の演武を奉納=写真2枚目。同2時半からは、3頭の馬を走らせて恒例の流鏑馬神事が行われた=写真3枚目。的の板に矢が命中するたび、集まった見物人からは盛んな拍手が送られていた。

【午後1時からの神事の後、同2時からは一箭宗家ら同派の16人が「表」「裏」「新仕掛」の演武を奉納】










平成27(2015)年4月19日 顕彰碑建立・奉納演武会
11:00  「槍の又兵衛」顕彰碑建立除幕式
12:00 顕彰碑建立記念 植樹
14:00 岡八幡宮春大祭 宝蔵院流高田派槍術 奉納演武会


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