宝蔵院流高田派槍術祖
又兵衛翁顕彰祭

高田又兵衛師
寛文11(1671)年1月23日82歳没
 宝蔵院流槍術高田派祖・高田又兵衛師 347回忌に伝習者達が参列しました。
 高田又兵衛は、白樫(現・伊賀市白樫)出身で宝蔵院流槍術初代胤栄、二代胤舜の高弟。岡八幡宮(伊賀市白樫)の境内で修行に励み、近隣の若者達に槍術を教えていたことから、岡八幡宮は「槍の又兵衛修行の森」としても知られています。
 岡八幡宮は、源頼朝の命により建立された鎌倉・鶴岡八幡宮唯一の由緒ある末社です。

日 時  平成29年1月23日(月)14:00

会 場  岡八幡宮 又兵衛翁顕彰碑
      伊賀市白樫

主 催  槍の又兵衛顕彰会
      会長 西田陽一


慰霊祭参列に先立ち、高田又兵衛師里墓に詣でました。
高田又兵衛略伝
 田又兵衛吉次 天正18年(1590)父、喜右衛門吉春の長男としてここ白樫に生まれる。
幼くして武技好み、自宅の砦や岡八幡宮の大木を相手に技を磨き、満十二歳にして宝蔵院流槍術の門に入り、槍法を学ぶとともに、新陰流剣術、穴澤流薙刀も合わせて修行し創意工夫、遂に宝蔵院流田派を創出する。
 慶安4年(1651)三代将軍家光に呼び出され十文字槍の奥義を披露、葵の御紋付きの時服三領を拝領「槍の又兵衛」として全国にその名を知られた。
 進退、屈伸、表裏、悠急、剛柔の十文字を説き、法形百一条、巴の術十五ヶ条を考案するなど、十文字槍の哲理を深めた。
生来人格高潔にして、二天流の剣豪宮本武蔵や禅道の名僧隠元、即非、や法雲とも親交深く、晩年崇伯と号し主家小笠原(明石・小倉)の名を高め小倉の地で顕彰され名を残す。
 寛文11年(1671)没、小倉生往寺に眠る。
 子孫よくこれを受け継ぎ槍術の振興に尽くすとともに、郷土の為特に岡八幡宮、慈尊寺の整備に力する。
白樫自治会・白樫文化財保存会

「槍の又兵衛」顕彰碑
 高田又兵衛生誕の地である伊賀市白樫地区有志によって「槍の又兵衛顕彰会」が設立され、地元の英傑・高田又兵衛師を顕彰し、敬慕の念を一層深めるとともにその偉業を後世に伝えるため、多くの支援有志の助力を得て縁の深い岡八幡宮の境内に「槍の又兵衛」顕彰碑が建立されました。

建立  平成27(2015)年4月19日
 この日は、顕彰碑建立除幕式に引き続き、顕彰碑建立記念植樹、並びに宝蔵院流高田派槍術奉納演武会を挙行しました。



2017. 1.23
2017. 1. 7