山里忠徳 やまざと ただやす |
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嘉永元(1848)年6月26日、田安家普請奉行山里建之助の長男として生まれる。 生家は東五軒町(東京市牛込区東五軒町)、その後東京市本郷区本郷田町(文京区西片1丁目)に移転、さらに大正初年頃本郷区西片町十番、そして森川町に移転。この地で忠徳は没している。 忠徳は7歳で遠藤先生につき宝蔵院流槍術高田派を学び、剣は東軍流、弓は日置流、薙刀は一心流を修行した。 明治10(1877)年、西南戦争が勃発し忠徳は警視庁巡査として抜刀隊に参加し従軍。 明治16(1880)年、本郷警察署撃剣世話係に採用される。 明治30(1897)年、第一高等学校撃剣助教。多くの天覧試合に出場。 |
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「没後70周年追悼・山里忠徳先生小伝」高橋侑一 より | |