まりしてんせき
宝蔵院胤栄 摩利支天石 | |
宝蔵院流槍術の祖・宝蔵院覚禅房胤栄が猿沢の池に映る三日月を突いて鎌槍の操法を発明したことは有名ですが、自身が宝蔵院の庭の大石に摩利支天をまつり、武道の上達と槍術成就を祈念し稽古をしたことはあまり知られていません。 摩利支天とは梵語Marici(陽炎・かげろう)を神格化した女神で護身・勝利などを司り、日本では古来より武士の守護神として尊崇されていました。 宝蔵院は興福寺の子院で現在の国立奈良博物館の位置に江戸時代末までありました。しかし明治初年、時の大寺であった興福寺も廃仏毀釈の嵐に遭遇し、さらに上知令により上屋は取り壊され敷地は国に没収されてしまいました。そして摩利支天石は廃墟と化した宝蔵院跡地にまつる人もなく、取り残されていました。 この話しを聞いた奈良市高畑菩提町・石崎直司氏の曾祖父で漢方医であった勝蔵氏は、残念に思い自宅に移して供養し、且つ医業の守り神にさせていただきたいと発願されたのです。 なにしろ、動かせば祟るとまで言い伝えられていた大石ことです。大切にご供養したのち台座に乗せ、十数人の作業員がろくろを回して太いロープを引き「まいた、まいた」の掛け声と共に、数日を掛けて500メートルの道のりをようやく石崎家庭園にまで移動させたのでした。この大事業に当時の奈良町の人々は大勢見物に集まり、屋台がたつほどの賑わいだったといいます。明治20(1887)年のことでした。 お庭に鎮座された摩利支天石は「お石さん」とお呼びし、石崎家によって112年の間、大切にお祭りされてまいりました。 こうしてお守りされてきた摩利支天石ではありましたが、ご寄贈の打診をいたしましたところ石崎様にも了解をいただきました。そして宝蔵院ご縁の興福寺様も快くお引き受けいただき、移転先を南円堂南西・三重塔前と定めて下さいました。 いよいよ平成11(1999)年5月31日の早朝、多川俊映興福寺貫首様のご供養の後、クレーン車、トラックなど重機の助けを借り、径2メートル余、重量7トンのお石さまの遷座となりました。こうして無事、その日の午前中に興福寺三重塔前に摩利支天石は鎮座いただくこととなった次第です。 いま拝見いたしますと収まるべきところに収まり、まるで400年も前からここにあるかの如くの存在感ある風格を漂わせ、全く周りの風景にとけ込んでいるようです。お石さまご自身もお喜び下さっていることと拝察いたしております。 また、鍵田忠兵衛宝蔵院流高田派槍術第二十世宗家に石名の揮毫をお願いし、標石として建てさせていただきました。今後は武道の守護神としてお祭りを絶やさず、また奈良の観光の新しい名所として大切に守り伝えてまいりたいと存じます。 |
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