奈良には古くから刀鍛冶が興り、大和五流と称する千手院、手掻、保昌、尻懸、當麻が著名である。
しかし、室町時代末期には金房一派が奈良に居住し活躍した。この派は刀以外に槍を手掛け、宝蔵院に近い関係からか多くの十文字槍を残している。刀工には正実、政次、政景、正真、正長、政定、政助、政重、正清などを輩出している。
政次の作には「南都子守住」との銘もあり、この一派は奈良市子守町辺りに屋敷を構えていたと伝えられている。
奈良市史には、奈良市上三條町と本子守町との境に「金房辻」の旧名が伝えられ地元では「カナンボウツジ」と呼称している。とあるが、既に街路整備がなされ、詳しい位置は不明であるものの、現在の三条通りとやすらぎの道交差点の辺りと推察される。
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