75夏 ―奈良の若者たちはいま(1)

千日行にいどむ
真の“生”求めて 歩き、読経し、そして座禅
昭和50(1975)年 7月29日(火)奈良新聞
 
“シラケ世代”ともいい“三無”主義ともいう。
いま、日本の若者の間を支配している二つの潮流のことだ。無感動、無責任、無気力、無関心―。
だが、どっこい。それはほんの一部の若者のこと。神社・仏閣の街、一般に若者の息吹が乏しいといわれる街、ここ“奈良”にも真の“若者”はいた。
他人に迷惑をかけず、社会に迷惑をかけず、一途の信念と目的をもって、日々、何かに向かって直進している燃える若者が・・・。そんな青春群像の一コマ。題して「’75夏 ―奈良の若者たちはいま・・・」




   朝もやがたちこめてきた。東の空がほんのりと明るくなってきた。早朝四時半ごろ、平城京跡に面した道を一人の若者が歩いていく。
 『般若心経』の読経がつぶやくように聴こえてくる。低く、重く。朝の大気の中に静かに溶け込んでゆく。
 『仏説魔訶般若波羅密多心経・・・(ぶっせつまかはんにゃはらみーたしんきょう)』

◇ ◇ ◇

 修行僧ではない。若い県庁の役人さん。県人事課に勤務する一箭(いちや)順三さん。26歳である。
 あやめ池-西大寺-平城宮跡-一条高前-転害門-北御門町。毎朝早朝、約9`の道程を歩く。午前4時15分から同5時30分まで。この間、『般若心経』を180余回にわたって読経する。一日も欠かさない。彼にとって、そんな毎日がもう二百余日もつづく。
 歩いてどこへ行く。剣道道場に通う。北御門町にある習心館道場。ここで“千日行”にも挑んでいる。座禅を千日、一日も欠かさずに実行する。一日でも休んだら、それは意味がなくなる。
 以前、485日目を迎えた日、彼はとうとう休んだ。熱が出た。どうしても立てなかった。
 あくる日から再び千日行に挑む。



自己否定への道

 習心館道場には47年秋から通っている。入門の動機がちょっと変わっている。いや、それは若者にありがちなごく普通のケースかも知れない。『大阪に遊びに行き、やくざにからまれたのです。それで発奮したのでしょうか』。
 だが、『強くなりたい』『丈夫な体をつくろう』と始めた剣道だったが、それから一年後、彼の心はこう変わってきた。
『勝ちたい、生き続けたいなどと考えずに生も死も超えたところに、自己を全く否定したところに、私たち、人類の真の平和がやってくると思うのです。剣道は“道”と名のつくごとく、スポーツではありません。厳しい修行を続けることがそのまま国のためになる、理想社会ができる、そう信じているのです』(『私の生活とそして思うこと』-昭和48年12月8日記)。
早朝徒歩による道場行きを始めたのは昨年の12月8日から。釈尊成道の日といわれる“臘八(ろうはち)”の日である。早朝4時15分、下駄をはき、あやめ池の自宅を出発する。冬、まだまっ暗。
 背筋をピンとはり、一歩一歩、しっかりと大地を踏む。



足を地に着ける

 『“歩く”のは手段なのです。そこにはこれといって特別な意味はありません。ただ、大地をしっかり踏み、朝の大気を胸いっぱいに吸うということです。いわゆる“足が地に着く”のです。これは全てのものに通じる行動の基本原理だと思うのです』。
 千日行はや来年の暮れか翌年の正月ごろには達成する。だが、これとても、あくまで一つの”手段”ということを彼は強調する。
 それは『生と死を超越した“無我”の境地に達するための手段』というのである。我利と我利。これがぶつかっている限り、人間にいつ理想社会が到来しようか。人々がその我利の束縛から“自由”となり、“開放”されてこそ、人々の未来は開けるというのだ。
 そして、今-。早朝1時間30分の座禅中、彼の頭中を去来するものはなにか。まだ、これといって人に語るもの何一つとしてない。だが、そのうちに何かがつかめるだろう。

◇ ◇ ◇

 その“何か”を求めて-。26歳の一人の若者がきょうも1時間15分歩き、般若心経を180回唱え、そして、1時間30分座禅する。

2021.07.30