随筆
宝蔵院流高田派槍術に学ぶ
宝蔵院流高田派槍術 目録 佐藤寛
月刊「武道」 (発行:日本武道館)2015.2月号 掲載


宝蔵院流高田派槍術 目録 佐藤寛
 平成18年8月 月刊「武道」8冊が一度に送られてきた。バックナンバー1月号からの定期購読を申し込んでいたのである。
 宝蔵院流高田派槍術に入門して4年目、やや稽古が進み、古武道のことをもう少し知りたいと
思っていたところへ、月刊「武道」6月号に宝蔵院流槍術が大きく採り上げられていると聞いたからだった。
 真っ先に6月号のページを開いて見た。 「古武道の心と技を訪ねて第3回・宝蔵院流高田派槍術」が12ページにわたって掲載されていた。 内容は先代の鍵田忠兵衛宗家のインタビュー記事と稽古槍の操法、礼法、槍合せの型の解説と連続写真などである。暫らくはそればかり眺めていた。
 その中で 前鍵田宗家は「稽古を通じて相手の心を思いやる心、哀れみを持つ心、道を求める心、礼を交して相手を敬う心を大切にしなければならない。」と述べられていた。「大悦眼」というのは相手と向い合った時の心構え、奥儀のようなものだろうか。未だ日の浅い自分には今一つ判り難かったのを覚えている。
 掲載されていた 槍の操法、礼法、槍合せの型の解説と連続写真は 頭での理解と手順を覚えるのには役に立ったのだが それは解ったつもりでしかなかった。今でも 技と心構え共に“未だし”というほかない。
 掲載記事に責任がある訳ではない。残念であるが、これは私自身の問題ではある。

 宝蔵院流高田派槍術は、奈良市中央武道場の槍仕様と言われる400畳(634u)の大道場で稽古させて頂いている。太鼓が打ち鳴らされ、正座、そして礼に始まり礼に終わる。普段の日常には無い時間と空間である。
 現一箭宗家は 常々、「この恵まれた環境で稽古できることの有り難さを思い、この奈良発祥の武道の『技』と『心』を後世に伝えなければならない」と『伝承』の大切なことを話されるのである。

 宝蔵院流高田派槍術は その由来からして野戦攻城の術ではない。相手に致命傷を与えずその戦闘能力を奪う「防御」を専らにしていると言われる。事実 そういう技が多い。
 伝承すべき「心」と「技」は このことの中からも汲み取ることができると思う。
 『伝承』は 月刊「武道」に見られる古武道諸流派が最も意を用いておられるところであろうと思う。『伝承』がなくなれば流派そのものが無くなってしまうのだから。

 月間「武道」の内容は幅広く奥深い。
購読前は武道・武術の専門誌で「武」一点張りの雑誌だと思っていた。実はそうではないと気付いたのは、09年2月号に連載「日本の心やまとごころ」で町人哲学石田梅岩を採りあげていたから、浅はかでした。
 最近 感銘を受けたのは。14年5月号から隔月連載で始まった「文武一如」です。
 第1回「佐久間艇長と漱石」、有名な話なのですが 明治43年4月訓練中に故障して浮上できない潜水艇の中で書かれた遺書のことである。克明に状況報告を書き更に「謹ンデ陛下ニ白ス我ガ部下ノ遺族ニシテ窮スルモノ無カラシメ給ワンコトヲ我ガ念頭ニ懸カルモノコレアルノミ」、乗組員は皆その持ち場についたまま亡くなっていたという(佐久間大尉31歳)。これに対する夏目漱石の一文についてである。第2回(7月号)「広瀬中佐と漱石」、第3回(9月号)「大将の度量と副官の器」秋山真之参謀が、旅順港口閉塞作戦の折 閉塞船の指揮官達に「捕虜になるつもりやれ」と言ったとのこと。決死の特攻ではなかったのだ。第4回(11月号)「仇討の現実」荒木又右衛門の凄惨な仇討の現実と法則。
 是非ご一読を。

 雑誌というモノ、全部に眼を通して熟読する人はそうは居ないと思う。私も自分にとって「薬」になるところしか読まない。それでいいのだと思っている。それでも月刊「武道」は、私にとっては栄養剤であり時にはカンフル剤にもなる有難い存在になってくれている。   
 本誌購読のきっかけを作ってくれた宝蔵院流高田派槍術にも重々感謝しなければならないと思っている。

奈良市鴻ノ池中央武道場

武道場に掲げられている看板

大道場での槍の稽古風景(1)

大道場での槍の稽古風景(2)


































2015. 2.25