流鏑馬に生きる 武士の矜持
小笠原流850年の伝統

BS JAPAN

放映日時 平成26(2014)年1月2日(木)21:00〜
(抜粋)
 鎌倉時代から今日まで、850年にわたり一子相伝で武士の礼法を伝えてきた家がある。
 弓馬術礼法小笠原流
 疾走する馬から弓を引き、的を射る流鏑馬。そして全国各地の神社で神事として奉納している。
(小笠原清基)
 流派が流派である所以というのは、昔から伝わってきた型がそのままやれるということだと思うんですよね。以前よりも確実に下手になってきている。当たりゃ良いというものではないので。

 流麗にして勇壮な様はまさに鎌倉武士を彷彿とさせる。多くの人を魅了する。
 この小笠原家の歴史と伝統を継承するであろう小笠原流三十一世小笠原清忠宗家嫡男、小笠原清基さん。
 小笠原流に伝わる武士としての心構えを失わず、平成の世に武士として生きる、伝統を継承する宿命を背負う若者、小笠原流清基さんの一年を追った。

流鏑馬に生きる
 武士の矜持
 −小笠原流850年の伝統−

(鶴岡八幡宮 吉田茂穂 宮司)
 かつてのそうした流鏑馬あるいは武道というものが、自分を律していく、己に克つといいますかね、自己修養の場である手段であったということを思います。
 小笠原さんが流鏑馬の伝統を守っていらっしゃる、武士の生き方をすべてあの弓馬弓術馬術の礼法に組み込んで、生き方として伝えてきたと言うところがあると思うのですね。
 弓馬術の礼法を守るということは、武士の精神を守る、日本人としての生き方を守る、ということを伝えてきたと思いますね。
(伝統を守り伝えていく者の思いとは)
 本当のものって何ですか、ということを皆さん解って欲しいな、皆さん解ってください、とそういう方が大きいです。
 流鏑馬っていう定義皆さん解ってますか?がまず一つとか、あとは当たれば良いっていうものじゃない、ですよっていうところ。どうしても見ている方というのは、どうしても当たる・当たらないだけだし、馬に乗って弓を引けば流鏑馬だという発想だと思うのですが、ぜんぜん違うのですね。
 本物というのはこういうものなのですよ、というのを解って欲しいなというのでやっている。
(熱田神宮 小串一夫 宮司)
 小笠原でよく言われるのは家業を生業(なりわい)としない、と言うでしょう。あれは素晴らしいことだよね。ある意味家業を生業としてしまうと、時代に流されるように時代に合わせて変化をさせてしまう、受けを狙うだとか、ということになって来るじゃないですか。
 こうなってくると伝統は守られないと思うのですよね。だから家業を生業としないというところが、伝統をしっかり守る、小笠原流の伝統を時代に継承できるという大きな智恵だったのでしょうね。
 本来の流鏑馬というものは一つの神事ですから、技術の伝承ではないんだよね。やはり心を伝承しないことには、技術だけでは廃れていってしまうのじゃないかと思うのですよね。
 だからそこには、今の世の中、あんな大変なことをしてということは、やはり大変な思いをしなければ、その心が伝わらないのだと思うのですよね。
 心の無いようなものは形だけ、形骸化して捨てられてしまうと、そういうふうに僕は考えておりまして、大事なことは心を伝える、日本の心を伝えるというところにあると思います。
 ご子息は三十何代続いている御家系ですから、そもそもDNAを持っていらっしゃるのですよね。
 だけど、僕が若に贈る言葉としたら「生涯初心を忘れるな」という言葉を贈りたいと思うな。
(父・三十一世宗家 小笠原清忠さん)
 礼法というのは、無くても生きていける。というのはそれは動物の世界。人間である以上、礼法というのは必要なんだ。いくら平等と言ったって、先輩である、後輩であるという立場の違いというのがある。社会生活の中でも、どうしても守らなければいけないということもあるわけですね。
 ですから、礼法が必要ないのじゃなくて、礼法は必要なんだけれども、もっと楽にしても良いじゃないかということはあるのだと思います。
 新渡戸稲造の「武士道」という中に「武士(もののふ)の心」というのがありますね。それを見ても、そこまでは到達できないのですけれども、「礼をもって端座すれば、狂人剣を取って向かうとも害を加うることあたわず」というような言葉が書いてあります。
 そういった精神を持てれば、非常に良いのかなとは思っていますけれども。
(鶴岡八幡宮 神奈川県鎌倉市))
 礼大祭を半月後に控えた八月下旬、鎌倉・鶴岡八幡宮では、清基さんの発案によるある催しが開催された。
古武道奉納
 弓馬剣槍において日本を代表する三つの流派による合同の奉納演武。
 まず小笠原流は、蟇目の儀を演武。

柳生新陰流剣術

宝蔵院流高田派槍術
(宝蔵院流高田派槍術 第二十一世宗家 一箭順三さん)
 小笠原先生のお力で、三流派で弓馬剣槍の代表を一つづつ出てもらうんだ、ということで本当にありがたいなと思いました。
 良いお天気の中で、じっくりと30分づつのお時間を頂いて、武神・八幡様の前で演武を披露させて頂いたということは、本当に良かったですね。
(柳生新陰流 第二十二世宗家 柳生耕一さん)
 この日本人の伝統的な誠の心というのをもう一度評価して、それを自分達がまたそれを意識的に実践して、また伝えていくというのが大きな使命だなと思っています。

 清基さんは、騎射木馬の形を披露した。
 今回、三つの流派の演武を企画した清基さんは、武道の素養についてある考えがあった。
 昔の武士というのは、弓だけではなく剣術であるとか槍術であるとか、総合的にこういった武道というのを稽古していた訳ですけれども、明治になってからどうしても単一のものしかしなくなってまいりました。
 その中で「武」とは何かということをみても、やはり限界があるのかなと思っていますので、剣術であり槍、そして弓というものをみて、そして本来ある「武道」というものははどういうものであるのか、というところを見詰めて頂ければ良いかなと思いまして、このような会を催したということです。
和鞍の手入れ
 麻綯えも重要で、ちゃんと綯える人は少ないですね。
 (他の麻綯えを示して)これを見ても分かるように、こういうものは綯え方が全然だめなのですね。
 (自分の麻綯え)これくらい詰まっていないとだめなのですけれども、
(他の麻綯えは)これだと引っ張ると延びちゃうのですよ。いくら絞めても結局緩んでしまう。
 鞍は骨董しかないです。
 現代鞍はないのです。
 ただ塗ってあるので、中に釘が入っていたりするのですよ。
 そういのうは全然使い物にならない。飾りとしてはありますが。

(明治になってから作らないのですか?)
 作ろうと思えば作れるのですけど、木がないんです。
 これはこういう木なんです。育てるか、雪国に行けば冬の時期に(雪の重みで)曲がるじゃないですか。それで育ったのを見つけてくるのですね。
武士とは

 当たりまえのことを当たりまえに常にする、ということなんじゃないかと思うのです。
小笠原 清基 33歳



三流派(小笠原流・柳生新陰流・宝蔵院流高田派槍術)鶴岡八幡宮奉納演武会(H25(2013). 8.31)

2013. 1.22