宝蔵院流高田派槍術
第二十一世宗家就任


月刊「武道」 平成24(2012)年4月号
宝蔵院流高田派槍術 第二十一世宗家 一箭順三

 去る12月16日、宝蔵院流高田派槍術第二十世宗家鍵田忠兵衛が永眠いたしました。ここにあらためて生前のご厚誼に感謝し心から御礼申し上げます。
 このため、故鍵田忠兵衛の後任を受けて、1月7日、小生が宝蔵院流高田派槍術第二十一世宗家に就任いたしました。
 宝蔵院流槍術は、南都・興福寺の子院・宝蔵院の院主胤栄が創始した槍術です。そしてその正統を継ぐ高田又兵衛は後に小倉藩に仕官し、その高弟が江戸に出て槍法を広め、やがて全国を風靡しその弟子4000人と伝えられ日本最大の槍術流派に発展しました。
 明治以降は第一高等学校(現東京大学)撃剣部に伝えられ、元最高裁判所長官・全日本剣道連盟会長(当時)第十八世石田和外先生が伝習されていました。
 この槍術伝習にむけて、奈良市より剣士が派遣され、昭和51年に石田先生より第十九世西川源内(剣道範士九段)先生に伝授され、ようやく宝蔵院流槍術が発祥の地・奈良に里帰りしたのです。こうして鍵田と私は、石田先生・西川先生に師事し懸命に稽古に励み、平成3年に鍵田忠兵衛が第二十世を継承し今日まで伝習されてまいりました。
 鍵田が流派を引き継いだ当時は伝習者僅か十数人という出発でした。しかし志を高く掲げ、「江戸時代に全国を風靡した」宝蔵院流槍術の復興を夢見て、弛まず努力をしてまいりました。稽古専一の気風を醸成し、昇級・昇格制度を確立し、さらに流派の護持団体として奈良宝蔵院流槍術保存会の設立を武道・文化観光・経済界にお願いし、伝承活動の基盤を確立して頂きました。
 こうした活動を継続し、宝蔵院流槍術は今や、大阪・名古屋・ドイツにまで道場を設立し、伝習者は百名を超えるまでに発展し、さらに東京道場の開設に向けても相談をしていたところでした。
 今となりましては鍵田宗家の思いを受け継ぎ、さらに発展させることが私共にできる唯一の恩返しであると信じております。
 今後とも伝習者と共に稽古に汗し、後世に伝え広める努力を惜しまず邁進してまいる所存であります。何卒先代宗家同様、格別のご指導ご支援を賜りますようお願い申し上げます。





















2012. 3.28