宝蔵院流槍術 (名古屋道場)

450年の歴史受け継ぐ
多彩な技、ひたすら鍛錬
平成24(2012)年3月29日 中日新聞

「えいっ、えいっ」と気合いを入れて槍を突く宝蔵院流槍術の伝習者ら
名古屋市昭和区の昭和スポーツセンターで















































 ある日曜日の昼下がり。名古屋市昭和区の昭和スポーツセンターに、道着姿の男たちが集まってきた。450年の歴史を誇る奈良・興福寺ゆかりの古武道「宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)」名古屋道場の伝習者たちだ。「整列っ! 先生に礼っ!」。週一度、二時回の練習は、免許皆伝の師範前田繁則さん(63=大阪府東大阪市への、額が床に付くほどの深いおじぎから始まった。
 カシでできた長さ2.7メートル、穂先が十字形の「鎌槍(かまやり)」を巧みに操り、1メートル弱も長い相手の「素槍(すやり)」を突いたり、ひねりとしたり、たたき落とたりして制する武術だ。まずは、基礎の基礎から。「えいっ、えいっ」と腹から声を出し、練習場を往復しながら槍をを前に突き出し続ける。腰の低い構えが、体にじわじわ負担をかける。開始十分で、どの顔も汗びっしょりになっていた。会社経営船谷哲司さん(40)=津市=は「始めた頃は練習後くたくたで、一寝入りしないと家に帰れないほどでした」と振り返る。
 興福寺の子院「宝蔵院」の僧、胤栄が創始した宝蔵院流槍術。漫画『バガボンド』の主人公宮本武蔵と対決した胤舜の流派と言えば、ピンとくる人がいるかもしれない。江戸時代には十以上の流派があったが、戦国末期から江戸前期に生きた伊賀国出身の武術家高田又兵衛吉次を祖とする本流の高田派が、今に受け継がれている。槍合せの型は三十五あり、数年かけて徐々に習得する。勝ち負けではなく、ひたすら己の技を磨くことに専念するという。道場は本部の奈良のほか大阪、ドイツにも。今年、10周年を迎えた名古屋道場では、常時10人ほどが鍛錬に励む。
 練習は基本げいこから型げいこ、さら防具を着ける実戦形式の地けいこに移った。槍どうしがぶつかる音や気合十分の掛け声が練習場内に暫く。「鎌を有効に使わんと」「こう構えた方が相手に威圧感を与えられる。それじゃぜんぜん怖くない」。剣道を含むと武道歴50年の前田さんが、時折、的確なアドバイスを送る。伝習者どうし型を確認しあい、細部を修正していた。
 道場責任者の宮島勝さん(53)=名古屋市南区=は「道場開設以来、ずっと続けていますが、まだまだ未知の部分が多い。宝蔵院流槍術は日本の伝統文化。後世に伝えていくには、体でしっかり覚えるしかないんです」と語る。宮島さんは最高位の免許皆伝の二級下で、武道大会など公の場での演武が許される「目録」の地位。後輩からは「自分の良い部分を引き出してくれる」と信頼が厚い。そんな弟子たちの姿に、前田さんも「名古屋道場のみなさんは本当に熱心に向き合ってくれる」と目を細めた。
 伝習者の本業は学生から歯科医師、公務員まで幅広く、入門動機も人それぞれ。練習中、人一倍高い声を発していた船谷さんは、家業の建設会社を継ぐ前に精神を鍛えようと一念発起した。「もともと、汗臭い武道は大嫌いだった」が、気付けば、もう七年目。近く、目録への昇格審査に挑戦する。「私たちの武道は、相手役がいて初めて成立します。正しく会得するには相手の言うことに耳を傾けることも重要です。けいこは、人と接することが多い社長業を続ける上でも役立っています」。日本の良き伝統を受け継ぐ喜びを、少しでも多くの人に味わってほしいという。それは、伝習者みんなの共通した願いだ。
 (谷村卓哉)

ヒト 苦労
 取材中「やってみますか」と鎌槍を渡された。やっぱり長いし重い。相手に何度突き出しても槍先はフラフラし、腕がすぐパンパンに。世が世なら仕留められていた。宝蔵院流高田派槍術第21世宗家の一箭(いちや)順三さんは「最初はしんどいですが、続けるうちに槍で心が通じ合うようになる。そうなれば、ぐっと楽しくなります」。入門など名古屋道場への問い合わせは、宮島さん=電052(823)1323=へ。

2012. 4. 1