墓所開眼法要

宝蔵院覚禅房胤栄師没後400年記念
宝蔵院流槍術一門新造墓所開眼供養


 宝蔵院流槍術は、柳生新陰流剣術と共に奈良が発祥の武道であります。その流祖は覚禅房胤栄(〜1607)といい興福寺の子院宝蔵院に住んでいました。胤栄は槍の修練に努め、猿沢池に浮かぶ三日月を突きの技を工夫し、宝蔵院流を創めたと伝えられています。
 この鎌槍は画期的な武器として隆盛を極め「突けば槍薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらまし」との詠歌が伝えられ、江戸時代を通して全国を風靡し、日本を代表する最大の槍術流派として発展しました。
 宝蔵院槍術一門の墓地は興福寺からおよそ2q南東の高円山麓に位置し、初代胤栄、二代胤舜など宝蔵院流槍術歴代が眠っています。この墓地は昭和33年に宝蔵院流槍術後見・故鍵田忠三郎師によって発見され、以来、鍵田師や宝蔵院流槍術師範及び伝習者達によって大切に祀られてまいりました。しかし、経年による風化や樹の根によって墓石が傾き、座視できぬ状態になってまいりました。
 折しも、本年2007年は胤栄師没後400年の節目の年を迎えます。第二十世宗家   鍵田忠兵衛師をはじめ我々は、この記念の年に流祖胤栄師を顕彰・追慕するとともに、師の心と技をさらに後世に永く伝え広めるため、没後四百年の記念事業のひとつとして宝蔵院槍術一門の墓所を整備させて頂きました。
 整備資金については、広く市民に呼びかけご寄付を募り、お陰をもちまして、下記のとおり興福寺様ご導師による新造墓所開眼供養挙行の運びとなりました。
 なお、ご寄付いただきました方々のご芳名を墨書し、ステンレス製タイムカプセルに封印のうえ墓内に埋納させていただきました。

1 日時 平成19年8月26日(日)9:00〜9:30

    なお、8月26日は胤栄師が慶長12(1607)
  に遷化されてより
400年目のご命日にあたります。

2 場所 宝蔵院流槍術一門墓地
       (奈良市白毫寺町)

3 法要 宝蔵院流槍術一門新造墓所開眼供養

宝蔵院覚禅房胤栄師没後400年記念
宝蔵院流槍術一門新造墓所開眼供養

平成19(2007)年8月26日
宝蔵院流高田派槍術
第二十世宗家 鍵田忠兵衛

 宝蔵院流槍術の流祖覚禅房胤栄師が慶長12(1607)年に遷化されて400年という節目の年を迎えた。この記念の年を迎えるにあたり、流祖胤栄師を顕彰・追慕するとともに、師の心と技をさらに後世に永く伝え広める記念事業を実施させていただきたいと考え、奈良宝蔵院流槍術保存会役員や門下生に諮りました。
 宝蔵院槍術一門の墓地には流祖胤栄、二代胤舜など宝蔵院流槍術歴代が眠っています。これまでも伝習者達によって大切にお祀りしてまいりましたが、経年による風化や樹の根によって墓石が傾くなど座視できぬ状態になっていたためこれを改修させていただくこととしました。
 墓所は車が通らぬ丘の上に所在し、改修には多額の費用を要しましたが、整備資金については、広く市民や保存会役員・会員及び宝蔵院流槍術伝習者に呼びかけご寄付を募り、平成19(2007)年3月24日に撥遣(御性根抜き)法要を挙行のうえ整備工事に着手しました。ご寄付いただいた方々のご助力に感謝し、宝蔵院流槍術ご一門に報告するため、ご芳名を墨書し、ステンレス製タイムカプセルに封印のうえ墓内に埋納させていただきました。
 こうしてようやく工事は無事完成し、保存会役員・会員及び伝習者及び多くのご協賛者の参列を得て、胤栄師が遷化されてより400年目のご命日にあたる平成19(2007)年8月26日に興福寺様のご導師により新造墓所開眼供養を挙行いただきました。
 古武道を稽古する者は、先師より伝えられた技を確実に後世に引き継ぐために、ひたすら稽古専一に励んでいるところですが、先師創流のご労苦を思い、敬慕する心がなによりも大切であると考えております。
 この度の墓所改修という大事業は、機縁が熟さねば実現できるものではありません。胤栄師没後400年の節目の年に、只今の私どもが巡り会う機会を与えていただいたことは誠に幸いでありました。この歴史的な年に日本の大切な歴史文化である宝蔵院流槍術を継承し、伝承していく責務を改めて肝に銘じた次第です。
 なお、宝蔵院覚禅房胤栄師没後400年記念「興福寺古武道奉納演武大会」を10月7日に実施いたします。多数の皆様のご来場をお待ち申し上げる次第です。



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 書道一滴流 書きっ子くらぶ 07.11.10


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