春日大社 社参式

朝日新聞
春日大社 興福寺社参式
神社に厳かな読経/春日大社


写真
神前で読経する興福寺の僧侶ら。古代から続く厳かな光景だ=奈良市の春日大社で
朝日新聞
平成19(2007)年1月3日より


◆ 興福寺貫首の社参式
 奈良市の春日大社で2日、日供始(にっくはじめ)と興福寺貫首(かんす)の社参式があった。神職と同寺の僧侶が一緒に参拝し、神前では神職が年頭の食事を供えて僧侶が読経した。神社にお経は一見ミスマッチだが、長く神仏習合の歴史を刻んできた南都らしく、神も仏も、ともにお正月を祝う行事だ。
 (編集委員・小滝ちひろ)

 午前10時。風こそないものの、冷たい雨が降りしきる中、岡本彰夫権宮司ら春日大社の神職と、多川俊映貫首ら興福寺の僧が一列になり、春日大社の貴賓館から本社へと向かった。神社で僧侶という不思議な光景に、初もうでの参拝者が携帯電話のカメラを盛んに向ける。「お坊さんの初もうでなの?」。そんな声もちらほら聞かれた。
 春日大社は藤原氏の氏神で、同氏の氏寺である興福寺の鎮守の神。どちらも古代から、切っても切れない縁にあった。明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)から神仏を分ける考え方が広まったが、それでもなお、奈良では神と仏の密接な関係は切れなかった。日供始と社参式はその代表的な行事として、今も続く。
 一行は約50人の信者とともに本社に入る。神職が本殿に食事を供えて祝詞が読み上げられると、いよいよ読経。多川貫首ら6人が本殿前に座り、唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)を唱えた。4世紀ごろのインドの僧、世親菩薩(ぼさつ)が唯識思想のエッセンスをまとめたお経は、不思議なハーモニーとなって春日山へと流れていく。
 1時間ほどの儀式が終わると、全員が約100メートル南の若宮神社へ移った。こちらの式は30分ほどで、やはりお供えの後に般若心経があげられた。
 寺院での法要のように、お香をたきしめるでも、密教作法があるでもなく、シンプルにお経を唱えるだけ。僧もわずかに6人。それだけにかえって、うっそうとした春日の森に根付いた素朴な神への信仰との一体感を感じさせた。

2007. 1. 3