(財)奈良市武道振興会設立三十周年 記念式典並びに武道演武会 |
|
開催日時 平成16(2004)年11月27日(土) 10:00〜 会 場 奈良市中央武道場 630-8113奈良市法蓮町1516 TEL.0742-26-1060 主 催 (財)奈良市武道振興会 観 覧 無料・自由 |
|
第1部 記念式典 |
|
第2部 武道演武会 |
1 弓道 巻藁射礼 |
2 宝蔵院流高田派槍合わせの型 |
|
表 鎌槍 免許皆伝 前田繁則 素槍 免許皆伝 榎浪伸和 |
|
新仕掛 鎌槍 免許皆伝 一箭順三 素槍 免許皆伝 粕井 隆 |
|
3 剣道 少年による元立ち稽古と試合 |
|
4 異種試合 剣道対なぎなた |
|
5 なぎなた 少年による演武 |
|
成年によるリズムなぎなた |
|
6 柔道 教室生による柔の型 |
|
7 銃剣道 基本応用動作と型 |
|
ごあいさつ 財団法人奈良市武道振興会 理事長 横井健二 財団法人奈良市武道振興会が昭和50年2月に設立が許可され、本年度で30周年を迎えることとなりました。奈良市ご当局を初め、武道・茶華道関係の多くの方々のご支援、ご協力のお陰であると深く感謝申し上げ、心より厚くお礼申し上げます。 さて、法人設立の経緯について顧みますと、故鍵田忠三郎奈良市長が、この奈良の地を再び武道精神の薫るまちとすべく、念願であった奈良市中央武道場が竣工したのを機に、伝統のある武道を通して心身ともに強靭な青少年の育成を、また奈良に縁深い日本古来の茶・華道の振興と、中央武道場の管理と運営については、西川源内先生を初めとする専門家諸先生方による創意工夫を加えた道湯活用により、武道の一層の振興を図ることを目的に、多くの方の浄財を基に発足しました。 その後も、奈良市当局の計らいで、昭和53年3月弓道場が、平成2年9月には中央第二武道場と鴻ノ池相撲場が相次いで完成し、あわせて諸道場の改修、付属施設の増設等が行われました。さらに平成15年4月からは奈良市青年の家「交楽館」も含め、当振興会はこれら施設についても管理運営させていただいております。 また、当振興会の事業として、中央武道場竣工1周年を記念して開催された近畿少年剣道優勝大会は、年々参加チームもふえ、今年で30回目迎え、盛大に開健することができました。小学生から大人まで多くの武道愛好家が参加していただく寒稽古会、土用稽古会も、昭和51年1月16日から18日までの3日間剣道寒稽古会を開催してより以降、柔道、なぎなた、槍、そして坐禅とふやしながら、今年の土用稽古会、参禅会には約1,300名の参加がありました。次に、発足当初の昭和50年5月奈良市と締結した中央武道場事業委託契約により6月より剣道、柔道、なぎなたの3武道教室の開設から始めた教室も、現在では槍、弓道、坐禅、茶道、華道と8教室にふやしながら受講生も年々ふえてきております。 このように多くの市民の皆様、そして武道愛好者の多くの方々にご利用いただきましたことに、少しなりとも所期の目的を果たせたのではと思っているところであります。 最後になりましたが、設立30周年は一つの節目としながら、今後なお一層武道の振興発展に努力してまいる所存でありますので、さらなるご支援、ご協力をお願い申し上げますとともに、30周年記念事業並びに記念誌発刊にあたり、関係各位に深甚の謝意を表しまして、ご挨拶とします。 |
|
お祝のあいさつ 奈良市長 鍵田忠兵衛 財団法人奈良市武道振興会がこのたび設立三十周年を迎えられ、それを記念して、ここに設立三十周年記念誌を発刊されますことを、まずは心からお慶び申し上げます。 奈良の地は、柳生新陰流や宝蔵院流槍術の発祥の地、いわば武道発祥の中心地であり、この地に昭和49年9月、伝統ある日本の武道を通して心身ともに強靭な青少年の育成、教育の場として、奈良市中央武道場が建設されたのを機に、当時の奈良市長故鍵田忠三郎氏を初め、故慶田八郎氏、木山弘氏、故小林茂市氏、紺家稔氏(現高椋稔氏)、故加藤利和氏、故河野清晃氏、西川源内氏が多額の私財を投じ、故慶田八郎氏を初代理事長として、昭和50年2月に貴振興会が設立されました。皆様には、設立以来本市における武道はじめ日本古来の茶・華道、禅の振興・発展、ひいては武道を通じて青少年の育成・指導と住民の皆様の福祉の向上にご尽力いただいてまいりました。改めて感謝申し上げます。 日本には文武両道という言葉があり、武道は特に精神修養に重きを置き、人格の形成を目指す点において他のスポーツとは一線を画すと言われます。すなわち“己を鍛えることで相手を思いやる強い心を持っ”人物の育成を目標としています。それはまさに人が人としてよりよく生きる道を説いたものであり、その理念はどんなに時代が移ろうとも普遍的な価値を持つものであります。 今や、武道愛好者は世界中に広がっております。さきの平成16年8月に開催されたアテネ五輪でも、連日、日本選手のメダルラッシュに日本中が沸きかえりましたが、中でも武道の一つである柔道競技における日本選手の活躍は華々しく胸のすく思いで、日本人のみならず世界の人々に大いなる感動を与えてくれました。 今後は、皆様のお力で武道初め茶・華道、禅を国内はもとより世界に向けてどんどん発信していただき、国際的な交流を通して他国との友好の芽を育み、ひいては日本の武道が世界の恒久平和に貢献していくことを切に願いますとともに、奈良市武道振興会のますますのご発展と関係皆様方のご健勝、より一層のご多幸を祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。 |
|
財団法人奈良市武道振興会設立30周年を追憶して 財団法人奈良市武道振興会副理事長 剣道範士九段 西川源内 はじめに 武道振興会設立以来、既にご他界なされた役員の霊に対し、合掌しご冥福を祈り上げます。 30周年のあゆみを追憶するにあたり、旧事務局員として、誠に苦しいときもありましたが、今から考えますと、懐かしくもまた波瀾に富んだ内容を思い出します。 まず、財団法人として、基本財産の設立が必要でしたので、県教育委員会の御指導により、500万円との御指導でした。この金集めが大変でしたが、次の役員の皆様方のご協力により達成できた次第です。 昭和50年2月12日 鍵田忠三郎 100万円、慶田八郎 100万円、木山弘100万円、昭和50年10月25日 小林筏市 50万円、昭和50年12月5日紺家稔 50万円、昭和52年3月24日 加藤利和50万円、河野清晃 30万円、西川源内 20万円で、500万円となり、やっと基本財産として通過した次第です。 その他財団法人としての各書類作成の毎日で大変だったと記憶しております。 当時、奈良市長であった鍵田忠三郎氏により、宝蔵院覚禅房胤栄一門の墓地が白毫寺にて発見されました。 全剣連会長(元最高裁長官)石田和外先生が、宝蔵院高田派の型をご存じであったのがご縁の始まりで、鍵田市長の槍に対する熱意が石田先生のお心に通じ、昭和50年9月7日より1週間、表14本、昭和51年10月18日より 5日間、裏14本、昭和52年12月13日より3日間、新仕掛け7本、計35本の御指導を受けましたが、参加したのは、剣道範士八段西川源内、剣道教士七段鈴木眞男、同じく教士七段松田勇吉、剣道四段鍵田忠兵衛、千日坐禅行達成一箭順三の5名でした。この35本は、石田先生がご苦心の末復元されたものであります。 他方、剣道教室が設立されたのでありますが、受講生がたくさん申し込んでまいり、各人に対する指導日と時間がうまく合わず、調整が難しい内容を持っておりましたが、何とか設立して今日に及んでおります。 終わりに、30年も前のことですので、思い出せないこと等たくさんあると思いますが、これをもって追憶といたします。 |
|
宝蔵院流槍術と私 一箭順三 昭和40年代、私は鍵田忠三郎先生私邸内の習心館道場に、剣道・坐禅の稽古に通っておりました。鍵田先生はいろいろな話を折に触れ門下生にしてくださいました。そのひとつに宝蔵院胤栄を夢に見た話がありました。「これは私に何かの使命を与えてくださっているのだ」と何度も申されていたのです。 奈良市長であった鍵田先生は、「人の道をさかんにする」の理念のもと、市内各中学校に剣道場を開設し、そしてその根本道場として「槍規模の道場を」と、非常な困難を克服して当時日本最大規模の中央武道場を建設されました。 この建設工事現場を視察に来県された石田和外全日本剣道連盟会長(元最高裁判所長官)が鍵田先生の案内で宝蔵院一門の墓参をされました。読経の後、石田先生は胤栄師の墓前で「実は宝蔵院流槍術を少々嗜んでいる」と申されたのでした。先生こそが宝蔵院流槍術の継承者だったのです。驚かれた鍵田先生は、道場開きにおいて是非ご披露いただきたいとお願いされたのでした。 いよいよ昭和49年9月28日の奈良市中央武道場竣工式、続く29日の第20回全日本東西対抗剣道大会において見事な「宝蔵院流高田派槍合せの型」が演武されました。これが私と宝蔵院流槍術の初めての出会いでした。鍵田先生も感激し、この奈良発祥の槍術を是非奈良に伝えてほしいと熱望され、石田先生も快くお引き受けくださいました。槍術習得のために西川源内先生、鈴木眞男先生、松田勇吉先生、鍵田忠兵衛先生が数度にわたって石田先生のもとへ弟子入り派遣され、その後私も加えていただくようになりました。 一方、完成した中央武道場は、鍵田市長の発案で(財)奈良市武道振興会が設立され、運営が委託されたと伺っております。武道振興会では武道の指導と剣道、柔道、なぎなた、弓道などの各教室が開講され、一流の先生方による熱心な指導が始まりました。今日の奈良市武道界の隆盛は、こうした礎を築いてくださった先見の明と、ご指導下さった奈良市及び武道振興会役員そして指導先生方の長年に亘る弛まぬ努力の賜物と拝察いたしております。 槍教室は少し遅れて昭和51年2月7日に開講され、私も入門させていただき、懸命に稽古するうちいつしか後進の指導も担当させていただくようになり今に至っております。 奈良市武道振興会の30年は、私の修行人生そのものであります。今後とも役員先生、指導員先生方と手を携え、槍術修行を通じて奈良市武道の振興と青少年の育成に微力ながら努力を続けてまいりたいと考えております。 |
|
思い出 槍教室講師 前田繁則 約30年前に奈良に宝蔵院流槍術の教室が開かれると知り、さっそく入門させていただきました。まず、驚いたのは中央武道場の大きさで、400畳敷きの広さがあり、当時の宝蔵院の道場の大きさであると教えられました。 当初は、稽古槍が少なく、また入門者が多くいたので、槍を持って稽古できるのが順番待ちで、あとは見取り稽古といった状態でした。しかし、今日に至り、思えば人の稽古を見ることが大変大事であると、当時の状態が教えてくれた気がします。その結果、今日まで稽古をさせていただく基礎になりました。 稽古の指導は、西川源内先生、鈴木眞男先生、松田勇吉先生がおられ、先生方の丁寧な指導を受け、また、我々も教えていただくのが楽しみで稽古に励んだものでした。当時の稽古槍は、現在に比べもう少し軽いものが多かったので、初心者には稽古がやりやすかったように思います。開講2、3年は、石田和外先生も年に1度程度お見えになり、稽古の指導を受けたこともありました。それから何年間は伝習生の入れ替わりは何人もありましたし、稽古日伝習生1人に対し先生が3人、何とも失礼というか、もったいないときも1度や2度ではありませんでした。それだけ伝習生が優遇していただいていたのです。 この28年間に体調をくずし半年ほど休講したときがありました。その間に鈴木先生がお亡くなりになられていたのです。久しぶりに稽古に行かせていただいたとき、始めの言葉が、鈴木先生が亡くなられたんですよとのこと、本当に悲しい思いをしました。穏やかで丁寧に指導してくださった鈴木先生のことが今でも思い浮かびます。 そして平成3年6月22日、19代宗家西川源内先生より20代宗家鍵田忠兵衛先生が流派宗家を継承され、同時に松田勇吉先生、一箭順三先生、私の3人が免許皆伝を受けました。この頃より伝習生も増え、その後級や昇格の制度をつくっていただき、伝習生の一つの目標、励みになり、また、ギリシャ、イギリス、ドイツの方々の伝習生も稽古に励まれ、日本各地や外国での演武出場など、すべて挙げると書に暇がないぐらい充実した活動を展開していた矢先、突然の訃報、松田先生がお亡くなりになられ、伝習生一同深く悲しい思いをするとともに、本当に残念な気持ちでいっぱいでした。 鍵田宗家、西川先生、お亡くなりになられた鈴木先生や松田先生、先生方の指導の下、お陰で私も後輩の指導ができる域の入り口に立たせていただき、本当にありがたく思っております。このさき、一生修行のこの道を、精一杯がんばっていきたいと思っています。 |
2005.02.06
2004.11.27