第43号
奈良文化・観光クォータリー 掲載 宝蔵院流槍術は、約450年前の興福寺子院のひとつである宝蔵院の僧、覚禅房胤栄(かくぜんぼういんえい)が猿沢池に浮かぶ三日月を突き鎌槍(かまやり)の技を創始したと伝えられている。 当時の奈良は、柳生新陰流流祖・但馬守宗厳(むねよし)(石舟斎、〜1606)や宝蔵院流槍術流祖・覚禅房胤栄(〜1607)が共に健在で、さらに宮本武蔵が訪ねて来るなど、錚々たる武芸者が往来する、まさに武の都でもあった。 やがて宝蔵院流は、江戸時代を通じて全国を風靡し、その弟子4000人といわれる日本最大の槍術流派となった。このように盛んであった宝蔵院流も、明治初年の廃仏毀釈の嵐に遭遇し、宝蔵院の建物・道場は取壊しのうえ、敷地は収公された。以来、奈良で稽古されることはなくなった。しかし昭和48年、奈良市中央武道場建設工事視察のため来県された当時の石田和外全日本剣道連盟会長(元最高裁判所長官)が、宝蔵院流槍術を伝えておられると聞き、西川源内剣道九段範士先生、鍵田忠兵衛氏や私などが弟子入りした。こうして百年ぶりに奈良発祥の槍術が里帰りし、槍の稽古が再び始まった。 やがて西川先生が第十九世を伝授され、続いて平成3年に鍵田忠兵衛氏が西川先生より二十世を継承し、私も免許皆伝をいただき指導する立場となった。さらに、長年稽古を続けているうち、ともに学ぶ伝習者が今では70名を越えるまでになった。 一方、宝蔵院の敷地は後に奈良国立博物館構内に組み込まれたため、今では地元でさえもその所在を知る人が少なくなり、たいへん残念に思っていた。このため私どもは、奈良宝蔵院流槍術保存会役員と相談し、宝蔵院流槍術顕彰碑の建立を市民 に呼びかけて寄付を募り、ようやく顕彰碑は平成14(2002)年12月16日、奈良国立博物館旧館西側に建立させていただくことができた。 顕彰碑は幅1.5メートル、高さ1メートルの花崗岩に興福寺の多川俊映貫首様に「興福寺宝蔵院跡 宝蔵院流鎌槍発祥之地」とご揮毫いただき、由来は銘版に刻み、嵌め込んだ。 多くの方々のご助力で建立させていただいたこの顕彰碑によって、奈良が誇るべき槍術文化である日本有数の槍術発祥地を明らかにし、後世の人々にも永く伝え継がせていただきたいと考えている。 また、本年1月から始まったNHK大河ドラマ「武蔵」には奈良の柳生新陰流剣術や宝蔵院流槍術が数多く登場することとなった。この放映を機会に、「武蔵のこころのふるさと・奈良」を訪れる多くの観光客への道しるべとしてのお役にも立っている。こうした機会をも活かし、大切な伝統文化であるこの奈良発祥の武道を後世に確実に伝え広めるため、今後とも一層の精進を惜しまず尽力してまいる所存である。 また、胤栄師没後400年の節目の年となる2007年を、宝蔵院流槍術としてどのように迎えるべきか、保存会役員や伝習者と相談しているところである。 宝蔵院流槍術顕彰碑除幕式 |