月刊「剣道時代」2003年1月号
宝蔵院流高田派槍術
第二十世宗家 鍵田忠兵衛
奈良宝蔵院流槍術保存会は、第12回目の興福寺奉納演武会を9月28日、奈良市の興福寺において開催しました。
宝蔵院流槍術は奈良が発祥の武道で、その流祖は覚禅房胤栄(〜1607)といい興福寺の子院、宝蔵院に住んでいました。
宝蔵院流の槍は、通常の素槍に対し鎌槍と称する十文字形の穂先に特徴があり、画期的な武器として全国を風靡し、日本を代表する槍術に発展しました。
保存会は、宝蔵院流槍術を発祥の地奈良において後世に永く伝え、槍術文化の普及発展を図るために、私が宗家を継承した平成3年に結成いただき、以降、毎年秋の恒例行事として宝蔵院ゆかりの興福寺東金堂薬師如来に奉納し、併せて多くの方々にご観覧いただくために開催しております。
興福寺本坊を出発した多川俊映貫首を先頭に興福寺一山僧侶、槍を抱えた演武者10名、そして保存会役員の行列は静かに境内を進み、午後2時に東金堂に到着しました。
東金堂に登壇された多川貫首のご導師による薬師如来への読誦奉納が始まると、約700名の観客も起立合掌してお経を唱和して下さいました。
いよいよ演武奉納です。5組10名の演武者が、日頃より稽古した技を東金堂基壇の厳粛な雰囲気の中で、伝えられた宝蔵院流高田派槍合わせの型表十四本、裏十四本、新仕掛七本の計三十五本を次々と披露し、その気合と迫力に居合わせた観客の方々は一人も席を立つ人がいませんでした。
こうして奉納演武は無事に終わり、続いて摩利支天石法要です。摩利支天石とは胤栄が宝蔵院の庭の大石に摩利支天をまつり、武道の上達と槍術成就を祈念し稽古をしたと伝えられている径2メートル余の大石で、元々宝蔵院跡にありましたが、現在は興福寺三重塔前に遷座され、武道の守護神として大切にお祭りをされています。東金堂より多川貫首、演武者、保存会役員に続き、多くの観客が摩利支天石前に移動し、多川貫首ご導師のお経に合わせて唱和し、演武会行事のすべてを終えることができました。
私共は、大切な伝統文化であるこの奈良発祥の武道を後世に確実に伝え広めるため、今後とも一層の精進し、継承発展への努力を惜しまず尽力してまいりたいと考えております。
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