宝蔵院流槍術

随筆 宝蔵院流槍術
  宝蔵院流高田派槍術 第二十一世宗家 一箭順三

2 宝蔵院流槍術 (二)
    季刊:興福第184号(令和元年 6月 1日 興福寺発行)
    全4回の掲載予定
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 宝蔵院流槍術 槍構え
 日本の古武道は「型(形・かた)」の稽古が基本です。宝蔵院流槍術においても、35通りの型が伝えられており、この型の中に様々な技術が凝縮されています。この型が伝えられてきたお陰で470年も前の技術を現在の私達が稽古をすることができるのです。勝敗を争う試合を行うと、人々は勝つことにのみ注力し技術が継承されなくなります。日本の古武道各流派は、それぞれの流祖が創始し磨き上げた技術である型を繰り返し稽古することによって体得し、後輩へ連綿と受継いできました。型稽古は優れた文化継承方法であるといえます。
 生身の人間が技術を受け継ぎ、それを次代に伝えることは容易なことではありません。一旦、途切れると復活は不可能です。しかし、それがまた武道修行の醍醐味であり、修行者の誇りでもあるのです。
 私は、槍は頭で覚えるな、体で考えろと常々申しております。今はマニュアル時代で、子供の頃からマニュアルに従って勉強し、仕事をしています。武道に於いても理屈を教えてもらうのを待ち、これがないと上達しないように思い込んでいる人が多いのは困ったことです。理屈を頭で理解できたとしてもそれはごく一端で結局は身に付かず、そこから先の上達はありません。先生や先輩の美しい技に感動し、どうすればそのように出来るかを自身の体で考え、徹底して稽古すれば時間はかかりますが結局は本物のが業(わざ)習得できると考えています。
 宝蔵院流槍術に入門しますと、槍の持ち方・構え方、そして歩き方を習います。槍の構えは、相手に対して左肩を前に横を向き、両足を90cmほどに開きます。右手は石突(いしつき・槍の末)を握り、左手を90cmほど開いて水平に槍を持ちます。そして腰は相撲の四股(しこ)のように低く構え、背骨を真っ直ぐに立て、顎(あご)を左肩に乗せるように顔を左に向けます。従って体は相手に対し腰も肩も横を向いています。槍で前に進むとは左方向に、後ろに、とは右方向に進むことを云います。
 初心者がこの姿勢をとると非常に苦しく、足腰は酷い筋肉痛に見舞われます。しかし慣れてくると、この構えこそが長くて重い槍を操作するに最適であることが次第に解ってきます。そして槍を突くには、右拳(こぶし)で槍柄を握り、左掌(てのひら)の中を槍柄を滑らせて左に突き出すのです。
 他のスポーツや武道を習っていた人でも、宝蔵院流に入門すると構えや動作に面喰います。生まれて以来この ような筋肉の使い方をしていなかったが為に、脳が指令を出しても筋肉が思うように動いてくれず、皆が苦労をします。
 宝蔵院流へは多くの人が入門してきてくれます。なかには教えると直ぐに上手に出来る人もいます。どんなに凄い伝習者になるだろうか、と期待はするのですが、どうした訳か決まって三箇月も続かないのです。対して、何度教えても出来ず、本人自身も情けなくなるくらい鈍臭い人が却って十年後には立派な伝習者となっています。下手な人はどうしたら先生のような技が出来るのかといつも注意深く観察し、苦労して工夫・稽古するのに対し、上手な人は分かった積もりになり、意欲を失ってしまうのかも知れません。不器用な人は下手な後輩が入ってきても、自分のしてきた苦労が分かるから、腹を立てず気長に接し、後輩を優しく指導してくれています。宝蔵院流槍術は真面目で元・不器用な伝習者によって支えられ、流儀の発展に貢献してくれているのです。
 また、宝蔵院流槍術には奥義(おうぎ)第一に「大悦眼(だいえつげん)」が伝えられています。敵に相対した時や、平素の稽古においても相手を睨みつけるのではなく、「大悦眼」すなわちニコッと微笑む眼を心掛けるのです。眼の力を抜けば、顔も肩も力が抜け、体も自ずから自然体となり、心も体も自由・闊達となる、との教えと解しております。この教えは宝蔵院流槍術のみならずすべての武道にも通じ、また現代の社会生活にさえ活用できると思います。








2019. 6.25