KCNテレビ放映
第2回 奈良市武道教室演武会 平成25(2013)年3月30日 開催

日時     平成25(2013)年4月29日(月・祝)16:00〜


放映        KCNエリアワイド


KCNテレビ「エリア ワイド」

第2回 奈良市武道教室演武会

平成25年3月30日(土)9:30開催
会場:奈良市中央武道場

開会式

開会あいさつ
一般財団法人理事長 津山恭之
(奈良市副市長)

 続いて、宝蔵院流高田派槍術の演武をご覧頂きます。
宝蔵院流高田派槍術 出場者
宗家   :一箭順三
免許皆伝:前田繁則.粕井隆.榎浪伸和.尾野好司.若林幹雄
免許   :美馬博幸.土屋明洋.鈴木誠
目録   :西本昌永.佐藤寛.森邦茂.藤本大輔.半田.西堀清作.
       田口昌昭.船谷哲司
伝習者  :加藤了嗣.米原紀吉.増村正司.森一彦.白木正勝.
       大木貴裕.小川文英.田辺満.藤井俊雄.
       レイモンド・シミョン.鹿野浩.藤田正行.坂本レジ.
       本條和樹.齋藤康博.森口遙平
 解説をお願いしていますのは、宝蔵院流高田派槍術 宗家の一箭順三さんです。よろしくお願いします。
解説
宝蔵院流高田派槍術
宗家 一箭順三
 さて、一箭さん。槍を見る機会は少ないと思いますが、宝蔵院流高田派槍術とはどのような武術なのでしょうか。
 この槍術はおよそ450年前、興福寺子院・宝蔵院の僧、覚禅房胤栄が寺を守るために武術を稽古して宝蔵院流という槍術を確立されたのです。
 そして、この槍は普通の形と違うのでしょうか。
 はい、2種類の槍を使って稽古しています。
 一方は「素槍」といいまして普通の槍です。
 そして、もう一方は「鎌槍」といいまして、穂先が十文字形
になっています。
 これが宝蔵院流槍術の特徴です。
 素槍は3.6メートル。鎌槍は2.7メートル。2〜2.3キログラムほどの重さがあり、樫の木で出来ています。

 宝蔵院流はこの十文字の槍先があることで、「突く」「引き落とす」「巻き落とす」「擦り込む」「叩き落とす」など、多様な技が可能となり、その有効性から全国に広まり日本で一番大きな流派に発展しました。
 江戸時代には弟子4000人が居たと伝えられています。
 この道場に入ってこられた皆さんは、白と紺の稽古着の伝習生がおられますが、これの違いはあるのでしょうか。
 宝蔵院流高田派槍術では「級」と「格」という位を設けています。
 初級・中級・上級の伝習者は紺、目録・免許・免許皆伝の伝習者は白の稽古着を着ています。
 外部での演武ができるのは、目録以上の伝習者(白稽古着)のみと定められているのですが、今日は武道教室の発表会という趣旨ですので、上級以下の紺稽古着伝習者も出場し演武を披露させて頂きます。
 今日は「槍合せの型」を披露頂きます。
 詳しい解説を一箭さんよろしくお願いします。
 最初に基本稽古であります「しごき」を行います。稲の穂を「扱く」というしごきと同じ意味で、槍の柄を「しごく」のですが、剣道の「素振」にあたる基本稽古になります。
 現在この武道場には成人男性が来て頂いていますが、その伝習生はどのような方々なのでしょうか。  高校生から75歳くらいの男性が稽古をしています。
毎週土曜日10時から2時間、この道場で稽古をさせて頂いております。
 宝蔵院流槍術の稽古はこれから披露する「型」の稽古をしています。
 「型」というのは、こう突いて・こう受けて・こう返すという一連の動作を「型」と呼んでいます。
 この「型」を稽古することによって450年前の技術が今に伝わっているのです。
 
 スポーツのように勝ち負けを争うと、勝つことに意識が集中して技術が伝えられないのです。
 「型」をしっかり稽古してその技術を自分の体に染み込ませ、それを後輩に伝えていく、これを絶え間なく続けてきてくれたお陰で、450年前の技術が今稽古できるということになるのです。
 ですから私たちは「型稽古」を大切にしているのです。
 それぞれの「型」に名前が付いています。これは表1本目「倒用」という型です。
 裏面(うらめん)を突いてきたのを、冠って(かむって)受け、巻き落とす。さらに股(もも)突きを受け止め、続いて前面(まえめん)突きを引き落とし、気迫で圧して素槍を退却させる、という宝蔵院流の一番大事な技術の総てがこの1本目に凝縮されています。
 重要な技をこの1本目に充てられているのです。
 宝蔵院流槍術の型稽古はこのように二人が向き合って稽古をします。
 二人は向き合って、しかし離れて稽古をするのですが、二人の槍が一本の糸で繋がっているような、そして心も通じ合えるようになってはじめて「型」が生きてきますし、見て頂く方にとっても不自然でなく安心して見て頂けるようになるのです。
 こうなるまでに相当な時間がかかります。
 こうした基本の「型」はいくつくらいあるのでしょうか?
 「型」には、「表」「裏」「新仕掛」とあり合計35本の型が伝えられています。
 これの素槍と鎌槍の両方を稽古できるようにならないと演武が出来ないということになります。
 長く・重い槍を持ちますので難しいのですが、慣れてくると二人の呼吸を合わすとか、心が通じるといったことにだんだん面白みが解ってきて、なかなか辞められないということになるのです。
 宝蔵院流槍術の「奥義」に「大悦眼(だいえつげん)」という言葉が伝えられています。
 二人が相対すると睨みつけてしまって顔も堅くなってしまうものです。特に真剣を持って対すれば尚更です。
 こうしたときに「大悦眼」ほほえむような眼を持って相手と対しなさいという教えだと思います。
 こうすることで眼の力が抜け、顔の力が抜け、肩の力が抜け、体も自然体で相手と対することが出来るのです。
 こうした稽古を通じて今の社会生活でも、人さんと対するときに「大悦眼」という言葉は活かすことが出来ると思いますし、私たちは稽古をしながらこうした勉強もさせて頂いているのは、ありがたいなと思っております。
 先ほどは「表」の技を演武しましたが、続いて「裏」という技を行います。
 「表」というのは総体的に基本技が組み合わされて構成されています。
 対して「裏」はそれの変化形の技で構成されていて、擦り込みの技術が多く取り入れられています。
 宝蔵院流槍術には致命傷を与える技が少ないのが特徴です。
 攻めてくる相手を受け止め、相手を気迫で圧して押さえるということで諍いを止める、どうしても避けられない場合は手首に傷を負わせて戦闘意欲を減ぜせしむる、こうして相手の攻撃を止める技が多いのです。
 相手を殺してしまわないのです。先守防衛とでも言うのでしょうか。型全体を見渡すとそういう思想で構成されています。宝蔵院流槍術は平和の武道だと私は申しているのです。

 宝蔵院流から仕掛けていくような技はほとんどないということでしょうか?
 素槍が突っかけてくるところを、(宝蔵院流)鎌槍が応じる技ばかりです。
 私たちでは「後(あと)」の「先(せん)」と申していますが、後から応じて相手の先をとる考え方があります。
 宝蔵院流槍術は450年の歴史があります。戦国時代末期から江戸幕府成立の少し前ですね。
 そして、宝蔵院流槍術の技術の有効性が認められてきました。
 しかも寺院発祥の武術でありました関係から、他流のように藩から技術を伝えないという御留流(おとめりゅう)という制限がありませんでした。
 
 このため、日本中で宝蔵院流槍術が伝えられ稽古されるようになりました。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場する会津藩にも私どもの宝蔵院流高田派槍術が稽古されていました。
 このため私ども宝蔵院流槍術も撮影に協力し、伝習者も出演させて頂きました。
 これは「新仕掛」という技です。先ほど「表」、変化形である「裏」を演武しましたが、「新仕掛」はそれに加えてより複雑な動きと技で構成されています。
 この「新仕掛」は免許皆伝・免許の伝習者で演武を行っております。
 より一層迫力も増してきました。皆さんのお顔を拝見しますと、引き締まっておられますが、それでも「睨みつける」という感じではないですね。
 そうありたいと考えていつも稽古はしているのですが、ゆったりと力を抜いて構え、相手に敬意を表し、大悦眼で稽古が出来るとよいのですが。
 こうした技を私たちはしっかり稽古をして、今は一瞬ですが、これを後輩に稽古で伝えて、また次の世代に伝えていくのが私たちの使命であると考えております。
 「物」ですと大切に金庫にしまっておけば後生に伝わるのですが、「技」という無形の文化というのは、生身の人間が伝える技術ですから、油断していると消えてなくなる危険があります。
 それだけに、技術を伝えるということは難しいことではありますが、それはまた楽しいことでもあるのです。
 しっかりと稽古をして、技術が途切れないように後世に伝えるのが私たちの稽古なのです。
 「技」というのは450年の間に進化したり、付け加わったりするものなのでしょうか?
 今伝えられている35本の技に考えられる可能な技術は総て入っています。新たに付け加える必要はないのです。
 変えても・付け加えてもいけないのです。これが歴史であると考えております。
 今私たちが稽古している技術が、そのまま何百年経っても後輩が同じように稽古してくれるようにしておかねばならない、それが務めだと考えております。
 「表」「裏」そして「新仕掛」と三つの「型」を見てきました。
 ということで、「宝蔵院流高田派槍合せの型」をご覧頂きました。

 放送の解説は、宝蔵院流高田派槍術 宗家の一箭順三さんでした。どうもありがとうございました。
 

2013. 4.30