川路聖謨と宝蔵院流槍術


講演会「奈良奉行・川路聖謨と宝蔵院流槍術」



月刊「武道」 2005年12月号
発行:日本武道館


挨拶する孝田会長


講演をする筆者


熱心に話を聞く受講者








「川路聖謨」
幕末の幕臣。旧姓は内藤。川路家の養子。通称は左衛門尉。佐渡奉行・小普請奉行・普請奉行・奈良奉行・大阪町奉行をへて、1852年勘定奉行、公事方・海防掛となる。主にロシアとの外交交渉にあたったほか、禁裏造営・軍政改革に尽力。58年堀田正睦の上京に随行したが、帰府すると井伊直弼に左遷され、59年隠居差控となる。佐渡奉行在勤日記「島根のすさみ」や「下田日記」「長崎日記」を残す。
「日本史広辞典」より

宝蔵院流高田派槍術 宗家代行 一箭順三

 10月22日、奈良市の奈良経済倶楽部で「川路聖謨を讃える会」(孝田有禅会長)が主催する「奈良奉行・川路聖謨(としあきら)と宝蔵院流槍術」と題して講演があり、筆者が話しをしました。
 ご承知の通り川路聖謨(1801〜68)は幕末の俊傑であり、幕府の要職を歴任し、日露通好条約をまとめ、北方四島が日本固有の領土であることを明示したこと等で知られています。
 その川路聖謨が1846年から5年余に亘って奈良町奉行として在任しました。この間、貧民救済策を実施し、東大寺・興福寺を中心に大規模な植樹を行い、今日の奈良公園の基礎を築くなどの善政を施し、大恩人として今なお奈良市民に慕われ尊敬されています。

 昨秋、103名の発起人からなる「川路聖謨を讃える会」(会長 孝田有禅)が発足し、以来、川路聖謨の研究や講演会が継続的に実施されています。
 そしてこの度、同会より小生に講演依頼を頂き、宝蔵院流槍術伝習者としての視点から川路聖謨を語らせていただくこととなりました。当日は写真や古絵図をプロジェクターで投影し、加えて調査した事項を基に独自の年譜を作製して彼の生涯と修行を説明しました。

講演内容
1 川路聖謨と宝蔵院流槍術
   鍵田忠三郎師と川路聖謨
   植樹百万本運動
   川路聖謨顕彰碑

     川路聖謨の修行
2 宝蔵院流槍術について
   流祖・胤栄
   十文字鎌槍
   稽古槍
   稽古・演武

3 川路聖謨の生涯・業績
4 川路聖謨の修行
   槍すごき
   素振り
   甲冑歩行
   読書
5 川路聖謨の見識
   武道
   武具
   薬
   交遊
6 奈良における川路聖謨
   寧府紀事
   宝蔵院訪問記
   宝蔵院位置図
   宝蔵院狸汁
   宝蔵院流槍術顕彰碑
   子息・市三郎の槍術稽古
   宝蔵院胤懐との会談
   寧樂百首

7 その後の川路家
   川路彰常
   川路寛堂
   川路柳虹
   川路 明
8 宝蔵院流槍術の伝承活動
   ビデオ「川の流れのように」

 
川路聖謨は、奈良町奉行在任時に綴った日記「寧府紀事(ねいふきじ)」を遺しています。これによると自身も宝蔵院槍術を修め、また子息・市三郎を興福寺の子院であった宝蔵院に入門させ、宝蔵院を訪問して稽古を見学し、度々院主と対談していました。さらに驚くことに、彼の日課は早朝に起き、三.七sの刀で二千回の素振り、三sの槍で基本稽古である「しごき」を四千回、十一sの甲冑を身につけて十三qの歩行など徹底した鍛錬を怠らず、その後に「資治通鑑(しじつがん)」や「四書」等を読書の上で公務に就いていました。川路聖謨はこのようにして毎早朝、人知れずの鍛錬と読書で心と体を養っていたのです。これは健康法の一つではありましたが、それ以上にいつでも国家のお役に立てるための準備であったようです。「甲冑惣目かた三貫目位にて二尺三寸に壱尺三寸の脇差をさし三里歩行し馬にて五里往来せねは武士の役はたたすとしるへし」と「寧府紀事」に記しています。

参考に、「寧府紀事」の一部を掲載します。
   
1846111
   「奈良奉行に任ぜらる」
    912
   「鑓刃びきの数をましたるは、江戸の如き稽古なき故也」
    1011
   「きょうも太刀ふり、鑓遣うことれいの如し」
    1014
   「六時より起きて、太刀ふり、槍遣うことれいの如し」
1847514
   「すこき千五百本、大刀のすふり五百餘は毎朝するなれ共、體を遣うことの少なき故」
819

   「毎朝三千本の素こき、太刀千本」
    829
   「槍の素こき三千本、馬に乗り刃ひきふり、市三郎に剣術を遣い」
1848124
   「宝蔵院、稽古始めにて狸汁」
    125
   「次男市三郎、宝蔵院へ弟子入り」
    52
   「剣槍稽古に出精するよう激励の詩を与える」
    511
   「市三郎の白足袋での稽古行きに叱責」
    184944
   「市三郎が稽古で先生と組打ちしたるを聞き、怒る」
    515
   「胤懐訪ね来たり、槍について歓談す」
    1021
   「市三郎の他流試合に臨むにあたり、心構えを教える」
    1022
   「宝蔵院の稽古場で演武を参観」

 このように自身を厳しく律し、他人には優しく接している様子は、日記を通してもその人柄が温かく伝わってまいります。
 翻って、彼の万分の一に届かぬような私共の現在の稽古を思うとき、先人の心・修行を見習わねばならぬと強く考えさせられた講演会でありました。




講演会「奈良奉行・川路聖謨と宝蔵院流槍術」(05.10.22)

2005.11.26